3月の音楽カレンダー(2)ヨハン・シュトラウス1世、リパッティ、リヒテルetc

3月11~20日ゆかりの音楽家たちを紹介しています。

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Yoko Ina

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3/11はアントニオ・バッジーニとアストル・ピアソラの誕生日

3/11はイタリアのヴァイオリンニスト アントニオ・バッジーニとブラジル出身の音楽家アストル・ピアソラの誕生日です。

3/11生まれの音楽家1/2 アントニオ・バッジーニ

3/11生まれの音楽家1/2はアントニオ・バッジーニ(Antonio Bazzini)。

1818年イタリア生まれのバッジーニは、少年時代にパガニーニを聴き、その超絶技巧に大きな影響を受けヴァイオリニスト・ヴァイオリン教師、作曲家になりました。

晩年はミラノ音楽院でカタラーニ、マスカーニ、プッチーニなどを教えています。

バッチーニとも呼ばれる彼の代表作は「妖精の踊り」でしょう。パガニーニに優るとも劣らない超絶技巧のこの作品をニコニコと楽しそうに弾くのはパールマンくらいじゃないでしょうか。

簡単そうに弾いているのはパールマンだからです。

3/11生まれの音楽家2/2 アストル・ピアソラ

3/11生まれの音楽家2/2はアストル・ピアソラ(Astor Piazzolla)。

1921年アルゼンチン生まる。4歳の時に一家でニューヨークに移住し15歳まで過ごしアルゼンチンに移住。17歳頃ラジオで先鋭タンゴ「エルビーノ・バルダーロ楽団」に感動して初めてタンゴの音楽性を知り、1939年当時最先端だったトロイロ楽団に参加しバンドネオン奏者として徐々に頭角を表す。1940年から5年間アルベルト・ヒナステラに師事して音楽理論を学びピアノ・ソナタも描いた。

徐々にタンゴに限界を感じ、1954年クラシックの作曲家を目指して渡仏、パリでナディア・ブーランジェに師事、当初自分のタンゴ奏者の経歴を隠していたがナディアにタンゴこそがピアソラ音楽の原点であることを指摘されタンゴ革命の可能性に目覚める。

1955年7月帰国、エレキギターを取り入れたブエノスアイレス八重奏団を結成、前衛的な作風に「タンゴの破壊者」と命を狙われたことも幾度あったほどで1958年家族でニューヨークに移住。1959年父の死に捧げた『アディオス・ノニーノ』を作曲、翌年帰国後に初演。バンドネオン、ヴァイオリン、ピアノ、コントラバス、エレキギターからなる五重奏団というピアソラの標準的グループ構成が出来上がる。アディオス・ノニーノをどうぞ。

https://youtu.be/Ljq4K31puA4

3/12はヴァイオリニスト ユーディ・メニューインの命日

3/12はヴァイオリン・ヴィオラ奏者、指揮者、音楽教師ユーディ・メニューイン(Yehudi Menuhin)の命日。

ニューヨーク生まれ、幼少時には神童として名を馳せ、後にイギリスに帰化しサーの称号が与えられたメニューイン男爵は、1999年ベルリンで82年の生涯を閉じました。

第二次世界大戦中には連合軍のために慰問活動に力を入れ、戦後も人道的な活動に積極的に携わるなど多忙を極めたことから過労による身体の故障に悩まされた時期がありましたが、精神世界への関心・ヨガや菜食主義の実践によって乗り越え、長く一線で活躍しました。

1962年にはイギリスにユーディ・メニューイン音楽学校を開設、1984年にはポーランドにオーケストラ・シンフォニア・ヴァルソヴィアを設立し自ら指導に当たりました。このシンフォニア・ヴァルソヴィアは毎年「ラ・フォル・ジュルネ」に来日しています。

妹のHephzibahとのフランクを。。。

3/13はピアニスト ジェラルド・ムーアの命日

3/13はイギリス生まれカナダ育ちのピアニスト ジェラルド・ムーア(Gerald Moore)の命日。

歌手やソリストに従属した”伴奏ピアニスト”から、共に音楽を創造する”共演ピアニスト”へと地位向上させたムーアは、1987年87歳で生涯を閉じました。

ムーアの著書『お耳ざわりですか―ある伴奏者の回想』(邦訳あり)には、共演者の実名公開でその仕事の舞台裏が綴られていて、とても興味深いです。

悲劇のヴァイオリニストヨーゼフ・ハシッドとのチャイコフスキー『なつかしい土地の思い出』を。

3/14はテレマンとヨハン・シュトラウス1世の誕生日

3/14ホワイトデーに生まれたのは、バロックを代表するゲオルク・フィリップ・テレマンと「ワルツの父」ヨハン・シュトラウス1世です。

3/14生まれの音楽家1/2はゲオルク・フィリップ・テレマン

3/14生まれの音楽家1/2はバロック後期の作曲家ゲオルク・フィリップ・テレマン(Georg Philipp Telemann)。

1681年にドイツに生まれたテレマンは音楽家の家系ながら、母は彼が音楽の道に進むことに反対したため、隠れて独学で作曲の勉強をした根性の人です。

作曲のみならず、オルガン、ハープシコード、リュートなど沢山の楽器を演奏し、特にリコーダーで名手でもありました。また、ドイツのみならず、ヨーロッパ各国の舞曲を研究したテレマンの作品は粋で華やかな作風により、当時のヨーロッパで最も人気ある音楽家の1人として大成功しました。

現代でも人気の『ターフェルムジーク(Tafelmusik)』は「食卓の音楽」という意味の3つの曲集からなる室内楽作品集は、管弦楽組曲、コンチェルト、クヮトゥオル、トリオ・ソナタ、ソロ・ソナタという様々なスタイルと楽器を使った器楽合奏曲であることから、「バロック音楽の百科全書」とも呼ばれます。

『ターフェルムジーク』第1集より第3曲 協奏曲 イ長調 TWV 53:A2 – フルート、ヴァイオリン、チェロ及び弦楽合奏と通奏低音をどうぞ。

3/14生まれの音楽家2/2はヨハン・シュトラウス1世

3/14生まれの音楽家2/2はヨハン・シュトラウス1世(Johann Strauss I.)。

1804年ウィーン生まれのヨハン・シュトラウスは生前「ワルツ王」と呼ばれるも、死後に長男ヨハン・シュトラウス2世にその名を(意図せず)譲り、自身は「ワルツの父」と呼ばれます。

代表作はウィーンフィル・ニューイヤーコンサートの最後を締めくくるラデッキー行進曲、そしてアンネンポルカも、です。

3/15はヴァイオリニスト ファビオ・ビオンディの誕生日

3/15はイタリアのバロック・ヴァイオリン奏者、指揮者ファビオ・ビオンディ(Fabio Biondi)の誕生日。

1961年シチリア島のパレルモ生まれ。16歳の時にウィーン楽友協会でJ.S.バッハのヴァイオリン協奏曲を演奏。

1990年ピリオド楽器によるバロック・アンサンブル「エウローパ・ガランテ」を結成。

バッハのシャコンヌです。

3/16はメゾソプラノ歌手クリスタ・ルートヴィッヒの誕生日

3/16はドイツのメゾソプラノ歌手クリスタ・ルートヴィッヒ(Christa Ludwig)の誕生日。

1928年ドイツ生まれ。母から声楽を学び、フランクフルト大学に入学、1946年にフランクフルト・アム・マインでオペレッタ『こうもり』のオルロフスキー公爵を歌いデビュー、1954年からハノーファー国立歌劇場に所属。

1955年27歳の時にカール・ベームに認められてウィーン国立歌劇場の一員となって活躍の場を広げ、1962年34歳にして宮廷歌手の称号を受けました。

シューマン リーダークライスより「月の夜」です。

3/17はショパン ピアノ協奏曲第2番が初演された日

3/17はフレデリック・ショパンが自身のピアノ協奏曲第2番をワルシャワで初演、ピアニストデビューした日です。

実際には2番の方が1番よりも先に描かれているのですよね。

瑞々しい感性と自由な発想や大胆な試みに若きショパンの野心さえ感じられます。

ルービンシュタイン&ウォーレンスタインの1958年で。

3/18はリムスキー・コルサコフの誕生日

3/18はロシア五人組のひとり、リムスキー=コルサコフフ(Nikolai Andreyevich Rimsky-Korsakov)の誕生日。

1844年ロシアの軍人の家庭に生まれ、早くから楽才を示すも12歳で海軍兵学校に入学。

ピアノを始めたのは15歳で、17歳から本格的に作曲を始めました。

作曲技法はほぼ独学ですが、いきなりペテルブルグ音楽院の作曲と管弦楽法の教授に任命されてしまいました。それからコツコツと勉強した成果は、日本でも有名な和声学や管弦楽法の教科書になっています。

弟子にはグラズノフ、ストラヴィンスキー、リャードフ、アレンスキー、プロコフィエフなどがいて、ロシアの代表的な作曲家が彼の影響を受けています。

明るく色彩豊かで各楽器の華やかな技巧も披露されるエンターテインメント的作品『スペイン奇想曲』をスペイン出身のアルヘンタでどうぞ。

3/19はピアニスト ディヌ・リパッティの誕生日

3/19はピアニスト ディヌ・リパッティ(Dinu Lipatti)の誕生日。

1917年ルーマニア生まれ。

かのアルフレッド・コルトーに見いだされるも、師よりも先に33歳で夭折。ブザンソン告別演奏会でのワルツ集は今なお名盤、私もかつてしびれるほど好きでした。

誕生日にはショパンノクターンOp.27-2を。

3/20はピアニスト スヴァトスラフ・リヒテルの誕生日

3/20はスヴャトスラフ・リヒテル(Sviatoslav Teofilovich Richter)の誕生日。

1915年ウクライナ生まれ。父親は彼をピアニストにする気はなく、さらに両親は別れてしまったこともあり、リヒテルのピアノは独学で始まります。

15歳で劇場ピアニストの職を得て、19歳で小さなリサイタルを開き、22歳でようやくモスクワ音楽院に入学して、かのネイガウスに師事。

ネイガウスはリヒテルに教えることはなかったと言っていまして、ネイガウスの本にはリヒテルの名前が度々登場し、高く評価していたことが伺われます。

第二次世界大戦が終結した1945年に30歳の彼ですが、時は米ソ冷戦時代、その演奏が西側に知られるようになるには時間がかかりました。1959年にドイツグラモフォンがワルシャワに乗り込んで行われたこのラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番は歴史的名盤と言われています。

冒頭からズシンとお腹に来るような凄い重厚感にピアノってこんな響きがするんだと驚かされます。

かと思えば、繊細でリリカルな表現で魅了され、その幅の大きさはオーケストラを凌ぐレベル。「傷つきやすい巨人」の名演をどうぞ。

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