パデレフスキかエキエルか|ナショナル・エディションセミナー

パデレフスキか、エキエルか・・・

パデレフスキ版に馴染んだ世代ほど悩ましい問題ではないかと思います。

かく言う私もエキエル版を初めて見た時には衝撃でした。楽譜だけはそろえ、眺めてはみるものの、これで弾く気にはなれないというのが正直なところでした。

しかし、時間の流れと共にエキエル版での演奏を耳にする機会が増え、2021年のショパンコンクールでは「パデレフスキは遠くになりにけり・・・」の感を強くしました。

”パデレフスキで弾きたい気持ち”と”エキエルで弾かなければならないのか”の間で揺れ動く2022年夏、カミンスキ教授とダニエル・チヒ博士が来日しナショナル・エディションセミナーが開催されるとの報が流れてきました。

これは聴くしかない!

・・・ということで、私的備忘録です。

♪この記事を書いた人
Yoko Ina

音楽&ピアノ、自然、読書とお茶時間をこよなく愛しています

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「ショパンの真実を探求して」byダニエル・チヒ博士

セミナーは「ショパンの真実を探求して」というテーマのダニエル・チヒ博士の話で始まりました。

そもそも音楽作品とは ー 音楽作品の定義とは

ナショナル・エディションの話の前に、そもそも音楽作品とは何か、定義が問われました。

チヒ博士いわく、音楽作品とは、

  • 作曲家がイメージしたもの?
  • 音の集合体としてリズム、ハーモニー、ダイナミック、アーティキュレーションなどが合わさったもの?
  • 演奏して響き渡ったサウンドそのもの?
  • そこに含まれている感情?時間?
  • 楽譜そのもの?
    ・・・

問いが並んだので、答えはどうするのか期待しましたが、

この問題はそれだけで哲学的な内容になり・・・

と終わりました。けれど、この問いは私にとっての

「パデレフスキか、エキエルか」

の大きな鍵になりました。それは最後に。。。

ちなみに楽譜は、

音楽的記録であり、記号的表現システム

と定義されました。

ショパンの楽譜とは

ショパンの楽譜は音楽史的には珍しく、生前から頻繁に出版されていました。

1840年すでにイギリス・ウェルセル社から全集が出版。現在では世界中で70種類以上の全集が出版されているそうです。

しかし、ショパンと出版社との関係はかなり微妙でした。

ショパンの言葉として、

原稿料をもらうまで楽譜は渡すな

というフレーズが残っているようです。つまり、ショパンにとって出版社は「自分を使って儲けたいだけ」の存在であり、信用していなかったことがうかがわれます。

実際の出版として、1832-48年に
フランスでは12社、
ドイツではブライトコプル&ヘルテル、ショット、ペータースなど
イギリスではウェセルなど
から出版されたそうです。

それ以外にも海賊版が出回り、数多くの”間違い”がありました。

メンデルスゾーンは

ショパンの音楽には、それが正しいのか間違っているのかまったくもってよくわからない場合がある

と語り、

シューマンは

残念ながら楽譜に間違いが多く、作品の理解が困難・・・

と語ったそうです。

そして、何より、ショパン自身

僕は世界一優柔不断な生物だ

と語るように、

完成作品と納品されてくる作品が違う

ということが常であったようです。

ショパンが作品を書いてから出版されるまでのプロセスは以下のようであったそうです。

ピアノの上で作品が生まれる
⇒ショパンの頭の中で作品は出来ているのでメモ的にスケッチ
⇒初稿譜
⇒出版用自筆譜
⇒写譜
⇒ショパン自身による修正
⇒版下にもさらに修正
⇒出版
⇒弟子たちの手に渡ってからもさらに修正

版下にさらに修正を加えるというのは、出版社にとってかなりブラックなことだと思われますが、ショパンはそれを日常的に行っていたそうです。

エキエル氏いわく

ショパンの場合、
校正とは、
その言葉の意味するものでなく、
その作品の創作の次なる段階・・・

それは、ショパンの”発想力に満ちた特性”によるものであり、

ジョルジュ・サンドいわく

彼の音楽の創造は、自然に湧き上がってくるもので奇跡的ともいえる

そもそもショパン自身が

少し書いては、多くをかき消している

と語っていて、要するにショパンの”最終的な意図”が何かというのは非常に難しい問題だということです。

ポーランドにおけるショパン作品の出版譜

1945年、ポーランドはショパン全集出版という大きな文化上の決断をします。

そして、生まれたのが

  1. パデレフスキ版(1948-1961年)
    実用的楽譜
  2. ナショナル・エディション(1967-2010年)
    ショパンの全音楽作品を可能な限り真正な形で紹介すること(byエキエル。1974年)

です。

ナショナル・エディションの前提と目的

チヒ博士によると、ナショナル・エディションの前提と目的は

  • 原典版であること
    ~可能な限り原資料にあたる
  • クリティカルエディションであること
    ~原資料についてのコメント、資料の価値の評価
  • 同時に実用的エディションであることを目指した
  • 楽譜は演奏家のためにあるので指遣いの記載、サイズへの配慮

そのために、まず原資料をできるだけ多く集めたとの事。

原資料とはすなわち、

  1. 自筆譜
  2. スケッチ
  3. 浄書譜
  4. 親友たちへの贈り物
  5. 筆写譜

です。

エキエルによる校訂プロセス

エキエル版による校訂プロセスについてはこのように語られました。

  1. その作品の中で検討すべき箇所を洗い出す
  2. 集めた原資料の関係性や時系列的前後を検討
  3. それによりショパンがどのような道筋をたどって書いていったか
  4. その時系列の中でどこがショパンにとっての”クライマックス”であったか

ショパンの音楽をどう演奏すべきか

最後にショパンの音楽をどう演奏すべきか、チヒ博士は次のようにおっしゃいました。

  • まず何より楽譜に忠実でなければならない
  • ショパンの演奏を描写した表現を知ること
  • 弟子たちのレッスン中の書き込み、奏法上の記述を知ること

それらのことを全てやった後、”すべてを書かれた楽譜”を手にして、自分の感性というフィルターにかけ、選び取っていく、それによって素晴らしい音楽体験ができる・・・

なぜ原典版なのか byパヴェヴ・カミンスキ教授

続いてのカミンスキ教授の動画講演(健康上の理由で来日されなかったため)では、実際にショパンの色んな作品から一部をピックアップして、

  • 自筆譜
  • エキエル版
  • パデレフスキ版
  • ヘンレ版

などの譜例を並べての解説でした。(具体的にどの曲のどのフレーズが取り上げられたかは割愛)

カミンスキ教授は、

楽譜は演奏家のためのものであり、作曲家の創作プロセスを出来る限り忠実に演奏家に伝える必要がある。

自筆譜に基づきながら、初版譜を参考にする。

そう、エキエル版の校訂方針を語られました。

(ここで、時間の都合で退席、あとは聴いていません)

私にとってのショパン

私は長い間ショパンを弾く時には

パデレフスキ版をメイン
練習方法とフィンガリングはコルトー版を参考にする

・・・という感じで来ました。

エキエル版をはじめて手にしたのは、2007年くらいだったと記憶しています。動機はやはり話題になっていたので、「ショパンを弾くなら・・・」という軽い気持ちでした。

冒頭で書いたように、エキエル版には非常に違和感を覚え、それは長くパデレフスキ版に馴染んだためだと思っていました。

しかし、どうもそれだけではないようだと感じていたことがセミナーを聴講して確信に変わりました。

それは、まず第1に、ショパン自身が印刷プロセスにおいても完成してからも修正を加えていたという情報によります。つまり、

ショパンの最終的意図は果たして何か?

を知るのは非現実的に難しい問題だということです。ショパンを現代によみがえらせて、「一体あなたの最終的意図は何か?」尋ねても、彼自身答えられないか、あるいは、昨日言ったことと今日言う事が違う、そして明日言うことがまた今日言っていることと違っていても不思議ではないだろうと思われるからです。そもそもショパンに「最終的意図」という発想はないのでは?とさえ思います。

第2は、自筆譜に忠実というのが本当に音楽的に正しいのか?という事です。というのも、レベル違いな話で恐縮ですが、私は自分自身が(自分が一旦書いたものについて)絶望的に誤字脱字チェックができないという致命的な欠陥がありまして、ショパンのようにインスピレーションあふれる天才が几帳面に楽譜を正確に描くだろうか?という疑問があります。たとえ間違えて描かれたとしてもショパン自身は「そんなの見れば間違っているの、わかるでしょ!」と考えていたのではないかと思います(文章ならそういうことは理解できると思います)。

というのも、しばしば話題になりますが、エキエル版は自筆譜に基づいて正しいのかもしれないが、おかしい or 不自然と感じる箇所が散見されるからです。

これは、パデレフスキ版に馴染んだからだ!では片づけられる問題だけではないと思っています。

そこで、チヒ博士が冒頭で語った、

そもそも音楽とは何か?

です。

・・・そんなこんなで自分がどの楽譜をどのように使うかを決めればいいと思います。

私は、
パデレフスキ版をメインにして
エキエル版を資料として参考にして、
コルトー版の指遣いや練習方法を参考にして

ショパンを弾こうと思います。

この記事は私の私的備忘録です。
記事についてのご質問やご意見にはお応えいたしかねますことをお断りしておきます。

追記:ピオトル・パレチニから反田恭平氏への言葉

パデレフスキ版とエキエル版について、ヤン・エキエルから反田恭平さんへのお話があります。参考までに。。。

まずは楽譜についてですね。先生はエキエル版のエキエルさんの愛弟子でしたので、パデレフスキー版とエキエル版の違いを知ることから授業が始まりました。驚くほど版によって違いがあって、極端に言うと、減七が属七の和音になっていて、暗いものが明るく違うカラーになっていたり。和声だけでなく、音自体も符号(演奏記号)がナチュラルになっていたりと、大きなレベルで違いが見られます。最終的には「譜面を読みこんで、演奏してみて、フィーリングが合うもの、手首の動きやフレージングがしっくりいくものを選びなさい」というお言葉を頂きました。

下記サイトより引用↓

ピアニスト反田恭平、2年ぶりオール・ショパン プログラムで臨むリサイタルツアーを語る&ショパン・コンクールへの想いも | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス
ピアニスト反田恭平、2年ぶりオール・ショパン プログラムで臨むリサイタルツアーを語る&ショパン・コンクールへの想いも
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