素晴らしい作品や演奏を生み出してくれた音楽家へ想いを馳せる音楽カレンダー10/1~10です。

10/1はピアニスト ウラディミール・ホロヴィッツの誕生日
10/1はピアニスト ウラディミール・ホロヴィッツ(Vladimir Samoilovich Horowitz)の誕生日。
1903年ウクライナ生まれ。
クラシックファンには今さら紹介するまでもない”神”。伝説もエピソードも数限りないですがピアノ弾きにとって最大の関心事はやはり独特の奏法でしょう。
低めの椅子、
背筋を伸ばし、
やや前傾姿勢、
伸ばした指の腹全体で、
ある時は舐めるように、
またある時ははたくように鍵盤に触れる・・・
「私はピアノで歌いたかったんだ」と語るホロヴィッツの音楽をどうぞ。
10/2はトン・コープマンの誕生日、ネヴィル・マリナーの命日
10/2はチェンバロ・オルガン奏者トン・コープマンの誕生日、そして指揮者ネヴィル・マリナーの命日です。
10/2生まれの音楽家 チェンバロ・オルガン奏者 トン・コープマン
10/2はオランダ出身のチェンバロ・オルガン奏者で指揮者トン・コープマン(Ton Koopman)の誕生日。
1944年オランダ生まれ。今では一般的となった古楽器による演奏に大きく貢献し、バッハのカンタータ全曲録音、オルガン作品全集録音の偉業を成し遂げました。
「おお愛する魂よ、汝を飾れ 」BWV 654をどうぞ。。。
10/2はイギリスの指揮者・ヴァイオリニスト サー・ネヴィル・マリナーの命日
10/2はイギリスの指揮者・ヴァイオリニスト サー・ネヴィル・マリナー(Sir Neville Marriner)命日です。
イングランド生まれで王立音楽大学に学んだ後、パリ音楽院に留学。フィルハーモニア管弦楽団やロンドン交響楽団でヴァイオリニストとしてキャリアを始めた後にピエール・モントゥーの音楽学校にて指揮法を学びました。
1959年にアカデミー室内管弦楽団 (Academy of St. Martin-in-the-Fields) を結成、映画『アマデウス』での音楽を担当しています。2016年92歳で生涯を閉じました。
モーツァルトの交響曲第39番 変ホ長調 K.543をどうぞ。
10/3は指揮者 スタニフラフ・スクロヴァチェフスキの誕生日
10/3は読売日本交響楽団桂冠指揮者だったスタニフラフ・スクロヴァチェフスキ(Stanisław Skrowaczewski)の誕生日。
1923年ポーランド(現ウクライナ)生まれ。
4歳でピアノとヴァイオリンを始め、
7歳でオーケストラのための作品を作曲、
11歳でピアニストとしてリサイタルデビュー、
13歳でベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番を弾き振り・・・
第二次世界大戦中の18歳の時、ドイツ軍の空襲で自宅が崩壊した際に手を負傷し、ピアニストを断念。作曲と指揮に専念することになりました。。。
1978年読売日本交響楽団の招聘による初来日以来、N響、読響、札響と数多く共演。読売日本交響楽団はスクロヴァチェフスキ抜きでは語れません。
彼の逝去から間もない2017年2月21日に読響の演奏会を聴きましたが、冒頭に彼のためにJ.S.バッハ『G線上のアリア』が捧げられました。
スクロヴァチェフスキのシューマン、いいです。。。
10/4はピアニスト グレン・グールドの命日
10/4はカナダのピアニスト グレン・グールド(Glenn Herbert Gould)の命日。
1982年50歳で生涯を閉じたグールドは熱心な信者が沢山いる一方で、ピアノの先生の中には首を傾げる人も少なくありません。コンクールや試験でのバッハ演奏では、グールドの真似はタブー。
演奏会の1回性にかねてから疑問を抱き、32歳の時にライヴ演奏を引退、スタジオ録音や放送のみで活動。話題に事欠かないグールドですが、これほど自分に誠実に生きた人もいません。
バッハで知られるグールドのベートーヴェンピアノソナタ第17番ニ短調Op.31-2「テンペスト」をどうぞ(演奏は5’37頃から)。
10/5はNHK交響楽団誕生の日
10/5は現在のNHK交響楽団の前身である新交響楽団の結団式が行われた日。
1925年に山田耕作が設立した日本交響楽協会から近衛秀麿をはじめとしたメンバーが離脱し生まれたのが新交響楽団です。その後、東京放送管弦楽団、財団法人日本交響楽団と組織や名称を変え、1951年8月1日にNHKの支援を受けてNHK交響楽団(N響)と改称されました。
1961年頃の演奏でショパンピアノ協奏曲1番です。ソリストは中村紘子女史。
10/6は作曲家 カルロ・シマノフスキの誕生日
10/6は作曲家カルロ・シマノフスキ(Karol Maciej Szymanowski)の誕生日。
1882年現ウクライナ領ティモシュフカで裕福なポーランド人地主の父とスウェーデン系の母の元に生まれました。
ショパンのマズルカは主に農民の踊りから来ているのに対し、シマノフスキは南部山岳地帯の踊り「山賊踊り」と呼ばれるものから来ています。
マズルカOp.50 – Nos.1, 2, 3 & 6をルービンシュタインでどうぞ。
10/7はピアニスト シューラ・チェルカスキーとチェリスト ヨー・ヨー・マの誕生日
10/7はピアニスト シューラ・チェルカスキーとチェリスト ヨー・ヨー・マの誕生日です。
10/7生まれの音楽家1/2シューラ・チェルカスキー
10/7生まれの音楽家1/2はシューラ・チェルカスキー(Shura Cherkassky)。
1909年ウクライナ・オデッサ生まれ。
ロシア革命を機に家族とアメリカ合衆国に亡命。ピアニストだった母から手ほどきを受け、カーティス音楽院でヨゼフ・ホフマンに師事。最晩年まで積極的に演奏活動、シューマン、アントン・ルビンシテイン、ラフマニノフ、ゴドフスキーが得意。
シューマン謝肉祭をどうぞ。
10/7生まれの音楽家2/2はチェリスト ヨー・ヨー・マ
10/7生まれの音楽家2/2はチェリスト ヨー・ヨー・マ(Yo-Yo Ma)。
1955年パリで音楽家の両親のもとに生まれ、7歳の時に家族とともにニューヨークに移住。
4歳でチェロを始め、すぐに神童ぶりを発揮。ジュリアード音楽院からコロンビア大学を経てハーバード大学で学びました。
そんな彼の生い立ちや人となりを表すエピソードを紹介。「尊敬する人物はいますか」との問いにこう答えています。
有名なチェリスト、パブロ・カザルス(Pablo Casals)です。彼を尊敬するのは、彼が次のような言葉を残したからです。
「私はまずは一人の人間であり、その次に音楽家で、第3にチェリストである」。
この言葉はとても美しく、いつまでも忘れることができません。私はこの言葉がとても好きです。そして、それを信じます。彼は人生をこのように送ってきて、多くの決定もこの信念に従って行いました。
言葉が美しいというか、この言葉を美しいと心に留めておけるということが素晴らしいと思うのです。。。
私はヨー・ヨー・マのバッハ無伴奏チェロ組曲が好きです。曲として最も好きなのは第6番を。
10/8はリストの弟子エミール・フォン・ザウアーの誕生日
10/8は、ドイツの作曲家・ピアニスト・楽譜校訂者・音楽教育者でフランツ・リスト最晩年の高弟の一人エミール・フォン・ザウアー(Emil von Sauer)の誕生日。
1862年ハンブルク生まれ、母親からピアノの手ほどきを受け、アントン・ルビンシュタイン、ニコライ・ルビンシュタインに習い、23歳頃にワイマールでフランツ・リストの薫陶を受けました。
その後は、ウイーン音楽院でマスタークラスを受け持ち、世界各地を演奏旅行しながら、楽譜の校訂にも数多く携わっています。そう、ザウアー版の、あのザウアーです。
ピアノロールによる演奏が多数遺っていて、リストの演奏を想像できるような凄さです。ドンジョヴァンニの回想をどうぞ。
10/9はサン=サーンスとアレクサンドル・ジロティの誕生日
10/9はフランスの作曲家・オルガニスト・ピアニストカミーユ・サン=サーンス(Charles Camille Saint-Saëns)とウクライナ出身のピアニスト・指揮者・作曲家・編曲家アレクサンドル・ジロティ(Alexander Il’ich Ziloti)の誕生日。
10/9生まれの音楽家1/2 カミーユ・サン=サーンス
10/9はフランスの作曲家・オルガニスト・ピアニストカミーユ・サン=サーンス(Charles Camille Saint-Saëns)の誕生日。
1835年パリ生まれ。2歳でピアノを弾き、3歳で作曲、10歳でリサイタル、13歳でパリ音楽院入学、16歳で交響曲を描き、1857~77年マドレーヌ教会オルガニスト。
音楽以外にもフランス古典やラテン語を学び、天文学、生物学、数学、絵画などさまざまな分野に才能を発揮。
旅行好きで晩年は旅から旅への生活を送りアルジェリア旅行中に亡くなりました。超天才にありがちな辛辣・毒舌で音楽院時代コルトーの「ピアノを学んでいる」に対し「大それたことを言ってはいけないよ」と言ったとか(ホンマかいな)。ピアノ協奏曲第5番「エジプト風」をどうぞ。
「10/9生まれの音楽家2/2 アレクサンドル・ジロティ
10/9はウクライナ出身のピアニスト・指揮者・作曲家・編曲家アレクサンドル・ジロティ(Alexander Il’ich Ziloti)の誕生日。
1863年ウクライナ・ハリコフ生まれ。フランツ・リストの最後の高弟の一人でラフマニノフの従兄とも言われています。
リスト、チャイコフスキー、ラフマニノフ、ストラヴィンスキーから作品を献呈されていて、バッハ、モーツァルト、ショパン、チャイコフスキーの編曲家としても知られています。ロシア革命の後、アメリカへわたりジュリアード音楽院でも教鞭を取りました。
1940年頃の録音でリスト「ため息」を、後半はフィルタリングでノイズが軽減されています。
10/10はピアニスト エフゲニー・キーシンの誕生日
10/10はロシア、イギリス、イスラエルの国籍を持つピアニスト エフゲニー・キーシン(Evgeny Kissin)の誕生日。
1971年モスクワ生まれ。10歳でモーツァルトのピアノ協奏曲第20番(K.466)を弾いてデビュー、11歳で初リサイタル、12歳の時、ドミトリー・キタエンコ指揮モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団とショパンのピアノ協奏曲が発売され、世界中の注目を浴びました。
初来日は1986年、15歳の時。実は大阪シンフォニーホールで聴きました。演奏はあまり覚えていませんが、プログラム終了後に師がステージに登場して2人でハグしていたのはよく覚えています。
ショパン好きみたいですけれど、私のキーシンのイメージはプロコフィエフ 『ロミオとジュリエット』より「モンタギューとキャピュレット」。
”少年のような”という形容がありますが、キーシンには神童の面影をいつまでも感じます。
