7/11~20日ゆかりの音楽家たちを紹介しています。
音楽のある毎日で心豊かに過ごしましょう。
Inaの音楽カレンダーは、Twitterでも毎日ご紹介しています。
7/11は指揮者セルジュ・チェリビダッケの誕生日
7/11は指揮者セルジュ・チェリビダッケ(Sergiu Celibidache)の誕生日。
1912年ルーマニア生まれ。 晩年は仏教に改宗し、日本でも参禅したとか・・・
7/12はピアニスト ヴァン・クライバーンの誕生日
7/12はヴァン・クライバーン(Van Cliburn)の誕生日。
辻井伸行くんが優勝して有名になったヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールのその人です。 1943年アメリカ合衆国ルイジアナ州生まれ、本名はハーヴィー・ラヴァン・クライバーン・ジュニア(Harvey Lavan Cliburn Jr.)。
1958年、23歳の時第1回チャイコフスキー国際コンクールで優勝したことが、彼の人生を決定しました。 このコンクールは1957年10月のスプートニク1号打ち上げを成功させた旧ソ連が芸術の世界でもソビエトの優越性を誇るために企画されたのですが、アメリカ人であるクライバーンは一次予選から大人気で、ファイナルのチャイコフスキー協奏曲第1番とラフマニノフ協奏曲第3番の演奏後はスタンデイングオベーションが8分間も続き、審査員だったスヴャトスラフ・リヒテルは、クライバーンに満点の25点を、他の者すべてに0点をつけたという逸話もあります。 審査員一同は審査終了後、ニキータ・フルシチョフに、「アメリカ人を優勝させてもよいか」と慎重にお伺いを立てました。 フルシチョフ:「彼が一番なのか?」 審査員:「はい」 フルシチョフ:「それならば賞を与えよ」 かくしてソ連史上最大の大誤算でクライバーンの優勝が決まりました。 一夜にして国民的英雄となったクライバーン、帰国時には空港で当時の大統領アイゼンハワーが出迎え、ホワイトハウスでは祝賀パーティが開かれ、ニューヨーク5番街で紙吹雪舞う優勝パレードが盛大に行われました。 凱旋公演の指揮は、コンクール本選での指揮者キリル・コンドラシン。 冷戦の最中にアメリカのピアニストとソ連の指揮者が共演するというの奇跡は、大騒ぎとなりました。
その後のクライバーンのピアニストとしての人生は決して幸せとは言えませんが、米ソが一触即発の緊張状態にあった当時、音楽と彼が果たした役割は計り知れないものがあります。 そのコンクール時の演奏でチャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番です。
7/13はヴァイオリニスト 五島龍の誕生日
7/13はヴァイオリニスト五島龍の誕生日。
1988年ニューヨーク生まれ。3歳から母・五島節の英才教育を受け、1995年夏7歳の時にパシフィック・ミュージック・フェスティバル(札幌)でパガニーニの「ヴァイオリン協奏曲第1番」で共演し、デビュー。 世界各地での演奏活動の他、JR東日本のCMや2017年3月まで『題名のない音楽会』の司会を務めるなど、広く知られ愛される存在です。 歌いまわしがなぜか演歌的で面白いチャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲をどうぞ。
7/14はヴァイオリニスト ヴィリー・ヘスの誕生日
7/14はヴァイオリニスト ヴィリー・ヘス(Willy Hess)の誕生日。
1859年ドイツ・マンハイム生まれ。ルイ・シュポーアに学んだ父からヴァイオリンのレッスンを開始し、のちにヨーゼフ・ヨアヒムに師事。 1904年から1910年までボストン交響楽団などでコンサートマスターを務め、ハーヴァード大学ではヴァイオリンを教えたのち、1910年にベルリン高等音楽学校のヴァイオリン科主任教授に就任。 マックス・ブルッフと親しくブルッフの作品の初演を多く行っています。 ヴァイオリンとヴィオラを変わりなく演奏したヘスは、ブルッフの《クラリネットとヴィオラのための二重協奏曲》作品88の初演でヴィオラを弾きました。
クラリネットパートはヴァイオリンで演奏されるケースも多いこの作品、ユーリ・ヴァシュメットのヴィオラとヴィクトール・トレチャコフのヴァイオリンで聴きましょう。
7/15はオレグ・カガンの命日
7/15はオレグ・カガン(Oleg Kagan)の命日。
1990年ミュンヘンで43年の生涯を閉じました。
オイストラフにも学び、リヒテル・ファミリーの中核メンバーとしてヴィルバート・クロイトでの音楽祭を主催、死後彼の功績を称えオレグ・カガン音楽祭と改名。リヒテルとのブラームス雨の歌をどうぞ。
7/16はイザイとズッカーマンの誕生日
7/16は偉大な2人のヴァイオリニスト、ウジェーイ・イザイとピンカス・ズッカーマンの誕生日です。
7/16生まれの音楽家1/2ウジェーヌ・イザイ
7/16生まれの音楽家1/2はウジェーヌ・イザイ(Eugène-Auguste Ysaÿe)。
1858年ベルギー・リエージュ生まれ、ヴュータンやヴィエニャフスキなどいわゆる「フランコ・ベルギー派」の教育を受け、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の前身ベンヤミン・ビルゼの楽団でコンサートマスターを務めながらソリストとして演奏活動を行い、ヨアヒム、クララ・シューマン、フランツ・リストやアントン・ルビンシテインなどと親交を結びました。 イザイのために作品を書いた作曲家にはセザール・フランク、カミーユ・サン=サーンス、エルネスト・ショーソンなどがいます。 メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲第3楽章、あっけにとられるほど鮮やかで香り高い演奏です。
7/16生まれの音楽家2/2ピンカス・ズッカーマン
7/16生まれの音楽家2/2はピンカス・ズッカーマン(Pinchas Zukerman)。
1948年テル・アヴィヴ生まれ、8歳でテル・アヴィヴ音楽院に入学、12歳の時にイスラエル音楽祭での演奏をアイザック・スターンとパブロ・カザルスに見いだされ、スターンの後見でジュリアード音楽院に留学しガラミアンに師事。 何を弾いても突き抜けた感じの気持ちよい人です。 ヴィエニャフスキ 華麗なるポロネーズ第1番をどうぞ。
7/17はピアニスト ニコライ・ホジャイノフの誕生日
7/17はピアニスト ニコライ・ホジャイノフ(Nikolay Khozyainov)の誕生日。
1992年ロシア極東ブラゴヴェシェンスク生まれ。 5歳でピアノを始めてすぐに才能を見出され6歳でモスクワに移住しモスクワ中央音楽学校と2010年からモスクワ音楽院で学び卒業 。 2010年ショパコン最年少ファイナリスト、2021年再びエントリー。コンクールでも演奏したショパンのフーガをどうぞ。
7/18は指揮者クルト・マズアの誕生日
7/18はクルト・マズア(Kurt Masur)の誕生日。
1927年現ポーランド領生まれ。ライプチヒで学び、ベルリン・コーミッシェ・オーパー、ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、フランス国立管弦楽団の指揮者を歴任、ニューヨーク・フィルハーモニック音楽監督を務めました。 1979年には読売日本交響楽団の名誉指揮者に就任、来日も数知れない日本ともゆかりの深い指揮者です。
マズアと言えばメンデルスゾーン。 作品の研究と普及に努め、荒廃していた住居の再建や1991年にフェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ基金を設立しています。 メンデルスゾーン真夏の夜の夢序曲をどうぞ。
7/19はピアニストのルイス・ケントナーの誕生日
7/19はルイス・ケントナー(Louis Philip Kentner)の誕生日。
1905年現チェコ領生まれ、オーストリア=ハンガリーの二重国籍を持ち、ブダペストで専門教育を受け、ゾルターン・コダーイに作曲を師事、交響楽や室内楽を作曲しましたが、ピアニストとしての活動が主です。 バルトークの《ピアノ協奏曲第2番》(1933年)の全曲演奏や、《ピアノ協奏曲第3番》のヨーロッパ初演(1946)も果たしました。 ポゴレリッチ事件で知られる第10回ショパンコンクールではアルゲリッチとは別の理由で審査員を降板したことでも知られる人です。バルトークピアノ協奏曲3番をどうぞ。
7/20は指揮者ミヒャエル・ギーレンの誕生日
7/20は指揮者ミヒャエル・ギーレン(Michael Gielen)の誕生日。
1927年ドレスデン生まれ。1940年アルゼンチンに移住しブエノスアイレスで哲学、ピアノ、音楽理論、作曲を学ぶ。カルロス・クライバーと知り合いエーリヒ・クライバーの指揮するバッハ「マタイ受難曲」通奏低音なども担当。1950年ヨーロッパに戻りザルツブルクでカラヤンのプローベなど勉強。
ストックホルム王立歌劇場芸術監督、ベルギー国立管弦楽団首席指揮者、フランクフルト歌劇場芸術総監督、シンシナティ交響楽団音楽監督、南西ドイツ放送交響楽団首席指揮者、フランクフルト歌劇場名誉指揮者、ベルリン国立歌劇場首席客演指揮者を歴任。
マーラーやシェーンベルクや現代音楽を得意します。マーラー6番「悲劇的」をどうぞ。