音楽家たちの誕生日・命日などをピアノ・弦楽器・管弦楽・・・の優先順位で紹介した音楽カレンダー2月11~20日です。
音楽のある毎日で心穏やかに、そして豊かにお過ごしください。
音楽カレンダーはTwitterでも毎日ご紹介しています。
2/11はピアニスト ルドルフ・フィルクスニーの誕生日
2/11はピアニスト ルドルフ・フィルクスニー(Rudolf Firkušný)の誕生日。
1912年チェコ生まれ。5歳の時にヤナーチェクと出会ってピアノと作曲を学び、10歳でリサイタルデビュー、21歳でロンドンデビュー以来国際的に活躍するもナチス台頭でアメリカに渡り帰化。ジュリアード音楽院で教鞭をとりながら演奏活動、たびたび来日していました。
ドヴォルザークの有名なユーモレスク(ピアノソロ全8曲の第7番)をフィルクスニーの演奏で聴くと本当はこういう曲なのね!?と新鮮な感動を味わえます。
ショパンのマズルカ同様、民族舞曲はDNAには敵いません。。。
2/12はピアニスト レフ・ナウモフの誕生日
2/12はロシアのピアニスト・ピアノ教師レフ・ナウモフ(Lev Naumov)の誕生日。
1925年旧ソ連生まれ。ゲンリヒ・ネイガウスの高弟としてモスクワ音楽院に学んだ後、アシスタントを務め、ネイガウス亡き後は約半世紀に渡り、モスクワ音楽院で教鞭をとりました。
弟子には、アレクセイ・リュビモフ、アレクセイ・スルタノフ、アンドレイ・ガヴリーロフ、コンスタンチン・シチェルバコフ、エフゲニー・コロリョフ、ボリス・ペトルシャンスキ・・・といった錚々たるピアニストが名を連ねています。
シューマンソナタ2番のマスタークラスがとても興味深いです。
2/13はピアニスト レオポルド・ゴドフスキーとイグナーツ・フリードマンの誕生日
2/13はピアニスト レオポルド・ゴドフスキーとイグナーツ・フリードマンの誕生日です。
2/13生まれのピアニスト1/2 レオポルド・ゴドフスキー
2/13生まれのピアニスト1/2はレオポルド・ゴドフスキー(Leopold Godowsky)。
1870年現リトアニア生まれ。幼少時とベルリン音楽大学での3か月をのぞきほとんど独学。リストに師事しようとワイマールに赴くも既に他界、パリにでサン=サーンスに出会い養子縁組を申し入れられるも断り、アメリカに渡って結婚、市民権を得て活動することになります。
ピアニストの中のピアニストと呼ばれますが創作も熱心。ショパンのエチュードのゴドフスキーバージョンのような編曲だけでなく、「ジャワ組曲」やピアノソナタなどオリジナル作品もありますが、いずれも超難曲。。。
とても新鮮なショパン葬送ソナタをどうぞ。。。
2/13生まれのピアニスト2/2 イグナーツ・フリードマン
2/13生まれのピアニスト2/2はポーランド出身イグナーツ・フリードマン(Ignaz Friedman)
1882年ポーランド生まれ。
フーゴー・リーマンとテオドール・レシェティツキーに師事し、フェルッチョ・ブゾーニのマスタークラスで研鑽を積んだ。レシェティツキーの助手も務めている。クラクフ大学で哲学を修め、教育の仕上げに作曲と音楽学を学んだ。
第2次世界大戦勃発後、オーストラリアへ演奏旅行を行ないそのまま定住。
極めて美しいショパンノクターンOp.55-2をどうぞ。
2/14は指揮者 ロヴロ・フォン・マタチッチの誕生日
2/14はユーゴスラビア出身でN響名誉指揮者として日本にもゆかりの深いロヴロ・フォン・マタチッチ(Lovro von Matačić)の誕生日。
1899年現ユーゴスラビア生まれ。9歳でウィーン少年合唱団に入団、ウィーン音楽アカデミーとウィーン市立音楽院で学び、1918年、19歳でケルン歌劇場の副指揮者に就任、1936年37歳の年に初めてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮。
第二次世界大戦中に親独・親ナチ主義者として活動し、戦後もチトーに反対し続ける態度を取ったため投獄され死刑宣告。処刑当日に収容所所長にピアノを弾くよう命令され、それを聴いた所長が「芸術家を死刑にするのは忍びない」と処刑を免れ、命拾いするもしばらくは活動停止が続きました(この所長の娘がマタチッチ夫人)。
1954年ごろから活動を再開しドレスデン国立歌劇場、フランクフルト市立歌劇場音楽総監督、ザグレブ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者(1982年まで。後に終身名誉指揮者)、モンテカルロ歌劇場音楽総監督に就任。
チェコフィルとのチャイコフスキー5番をどうぞ。
2/15はカール・リヒターの命日
2/15はドイツの指揮者、オルガン・チェンバロ奏者カール・リヒター(Karl Richter)の命日。
牧師の子として生まれ、11歳のときドレスデン聖十字架教会付属学校に入り、同聖歌隊のメンバーとなり、20歳のときライプツィヒ音楽院に入学、聖トーマス教会のカントルであったカール・シュトラウベとギュンター・ラミンの下でび、24歳で教会音楽の国家試験に合格して聖トーマス教会のオルガニストに就任、25歳でライプツィヒ・バッハ・コンクールのオルガン部門で首席を獲得し聖マルコ教会(ミュンヘン)のオルガニストに就任、ミュンヘン国立音楽大学のオルガンとルター派教会音楽の講師に迎えられました。
その後、ハインリヒ・シュッツ合唱団の指揮者として主にバッハ作曲のカンタータを演奏する目的で指導し、ミュンヘン・バッハ合唱団と改称します。28歳でソリストを募集し、ミュンヘン・バッハ管弦楽団を設立。
・・・もう生まれた時からバッハを演奏するべく運命づけられていたようなリヒターは1985年2月15日、滞在先のミュンヘンのホテルで54歳の生涯を閉じました。
J.S.バッハのカンタータBWV82をどうぞ。
2/16はピアニスト アレクサンダー・ブライロフスキーの誕生日
2/16はウクライナ出身のピアニスト アレクサンダー・ブライロフスキー(Alexander Brailowsky)の誕生日。
1896年ウクライナ・キエフ生まれ。キエフ音楽院の学生だった時にラフマニノフに見出され、ウィーンに留学してテオドル・レシェティツキの門下となり、1919年23歳でパリデビュー、1926年にフランス国籍を取得するも、ユダヤ人にとって困難な時世、結局米国に帰化しました。
ショパンの作品を得意としたと言われるようにサロン音楽的スタイルで、美しい響きと個性的な解釈を聴かせるピアニストであったので、アメリカの聴衆に広く支持されるというわけにはいかなったようです。
とは言え、録音も残っていますし、弟子には『心で弾くピアノ』で知られるセイモア・バーンスタインもいます。ショパンを得意としたらしいですが、あえてワーグナー=リスト「タンホイザー序曲」をどうぞ。
2/17はアルカンジェロ・コレッリとアンナー・ビルスマの誕生日
2/17はイタリアバロックのヴァイオリニスト アルカンジェロ・コレッリとチェリスト アンナー・ビルスマの誕生日です。
2/17生まれの音楽家1/2アルカンジェロ・コレッリ
2/17生まれの音楽家1/2はアルカンジェロ・コレッリ(Arcangelo Corelli)。
1653年イタリア生まれ、バッハ、ヘンデル、ヴィヴァルディより32歳年上。美しい旋律が特徴で、時代的に主流だった対位法的作品とは趣が異なります。
ラ・フォリアをナタン・ミルシテインの渋い演奏で。。。
2/17生まれの音楽家2/2はチェリスト アンナー・ビルスマ
2/17生まれの音楽家2/2はオランダ出身のチェリスト・バロックチェロの名手アンナー・ビルスマ(Anner Bijlsma)。
1934年オランダ生まれ。ハーグ王立音楽院でカレル・ファン・レーウェン・ボームカンプに師事し、1959年、パブロ・カザルス国際コンクール(メキシコ)で優勝。
1962-68年アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団首席チェロ奏者を務めるかたわら、グスタフ・レオンハルト、フランス・ブリュッヘンらとの親交を通じ、バロック・チェロ奏法を追究・確立。
バロックチェロで聴くバッハの無伴奏組曲第1番。
素朴な響きが語りかける音楽は心に染み入ります。
2/18は指揮者 マレク・ヤノフスキの誕生日
2/18はポーランド出身ドイツの指揮者マレク・ヤノフスキ(Marek Janowski)の誕生日。
1939年ポーランド人の父とドイツ人の母のもとワルシャワに生まれ、生後まもなくドイツへ移住、ヴッパータールで初等教育、中等教育を受け、ケルン音楽大学にてヴォルフガング・サヴァリッシュに指揮法を師事。
フランス放送フィルハーモニー管弦楽団、モンテンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督、ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を経て2005年からスイス・ロマンド管弦楽団の音楽監督に就任。
このシューマンの交響曲第3番「ライン」を聴いていると心の奥底から力が湧いてきて幸せになります。
2/19はヴァイオリニスト ギル・シャハムの誕生日
2/19はイスラエル人ヴァイオリニスト ギル・シャハム(Gil Shaham)の誕生日。
1971年天体物理学者の父と遺伝学者の母がアメリカ滞在中に生まれ、2歳からイスラエルで育ち、エルサレムのルービン音楽アカデミーのサムエル・バーンスタインのもとで7歳からヴァイオリンを始めます。
9歳の時にアメリカコロラド州の夏期音楽アカデミーで名教師ドロシー・ディレイに見いだされ、10歳でアレクサンダー・シュナイダー指揮エルサレム交響楽団との共演でデビュー、翌年にはズービン・メータ指揮イスラエル・フィルとの共演を果たし、その年にジュリアード音楽院の特別奨学生としてディレイのもとで学び、18歳からコロンビア大学で音楽以外の教養を深める学究肌のヴァイオリニスト。
クールなチャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲をどうぞ。
2/20はピアニスト クリストフ・エッシェンバッハの誕生日
2/20はドイツのピアニスト・指揮者クリストフ・エッシェンバッハ(Christoph Eschenbach)の誕生日。
1940年ドイツ・ブレスラウ(現ポーランド・ヴロツワフ)生まれ。母は出産時に亡くなり、音楽学者だった父は第二次世界大戦中に命を落とし孤児となったクリストフは母の従姉ヴァリドール・エッシェンバッハに引き取られました。
彼いわく、「悲惨な過去の生活のせいで口をきくこともできなくなっていたのである。ヴァリドール・エッシェンバッハはピアニストにして歌手、そして音楽教師で、夜遅くまでベートーヴェンやシューベルト、ショパン、ラフマニノフやバッハを弾いていた。私がまた口をきくことができるようになったのは、自分でも音楽を演奏したいか、と尋ねられて『はい』という言葉を発したときだった。」
この養母より音楽教育を受けピアノを学び、スタンウェイ・コンクールで第1位。
11歳のとき、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮するフルトヴェングラーの演奏に感動し、「その日から」指揮者を志し、「指揮者になるためには」と養母ヴァリドールはヴァイオリンを買い与え、ピアニストとしてのかたわら、その後15年間ヴァイオリンも習い続けました。音楽家としてのキャリアは最初ピアニストとして始まり、モーツァルトのピアノソナタアルバムなどの録音があります。
40歳頃から指揮活動を始め、北ドイツ放送交響楽団、フィラデルフィア管弦楽団、パリ管弦楽団の音楽監督に就任しました。
子供の頃からエッシェンバッハといえばモーツァルトのイメージ、弾き振りでモーツァルトのピアノ協奏曲第23番第1楽章です。