7月の音楽カレンダー(3)アダン、グラナドス、ムーティetc

7/21~31ゆかりの音楽家たちを紹介しています。

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ピアニストを中心に音楽家の誕生日・記念日を紹介した音楽カレンダーです。 素晴らしい作品を生み出してくれた作曲家・演奏家たちに感謝と敬愛を。。。 音楽カレンダーはTwitterでもご紹介しています。 1月|ミケランジェリ、ポリーニ、モーツァル...
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Yoko Ina

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7/21はヴァイオリニスト アイザック・スターンの誕生日

7/21はヴァイオリニスト アイザック・スターン(Isaac Stern)の誕生日。

1920年現ウクライナ生まれ。1歳で両親とともにサンフランシスコに移住。母親からヴァイオリンの手ほどきを受け、サンフランシスコ音楽院に学ぶ。 16歳でメンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲を弾いてデビュー。 20世紀最高のヴァイオリニストの1人。

古典的なレパートリーの他、バルトーク、アルバン・ベルグなど20世紀の作曲家の作品の演奏も優れていると言われますが、今日はバッハシャコンヌを。。。

7/22は指揮者ハンス・ロスバウトの誕生日

7/22は指揮者ハンス・ロスバウト(Hans Rosbaud)の誕生日。

1895年オーストリア・グラーツ生まれ。ピアニストの母親よりピアノのレッスンを開始し、フランクフルト・アム・マインのホーホ博士主宰の音楽院に進学。 1920年にマインツ市立音楽学校の校長に就任、1929年には新設のフランクフルト放送交響楽団の音楽監督に就任。 シェーンベルクやバルトーク・ベーラ、イーゴリ・ストラヴィンスキー、パウル・ヒンデミット、エルンスト・クルシェネクたちの作品を上演して名声を得ていきます。

ナチスドイツ時代には活動を制約され、1937年には政治的理由でフランクフルトを追われ、ミュンスター、ストラスブールを転々とし、戦後ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団やチューリッヒ・トーンハレ管弦楽団の指揮者として復帰しました。

ギーゼキングとの共演でブラームスピアノ協奏曲第1番をどうぞ。

7/23はピアニスト レオン・フライシャーの誕生日

7/23はピアニスト レオン・フライシャー(Leon Fleisher)の誕生日。

1928年サンフランシスコ生まれ。4歳でピアノを学び始め、8歳でデビュー、16歳でピエール・モントゥー指揮のニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団と共演。 アルトゥール・シュナーベルにも師事し、1952年エリザベート王妃国際音楽コンクールピアノ部門で第1位入賞するも、1960年代にフォーカル・ジストニアにより右手の自由を失い2000年代に回復するまで、左手だけのレパートリーによって演奏を続けました。

回復後の演奏でJ.S.バッハのカンタータBWV208『楽しき狩こそわが悦び(Was mir behagt, ist nur muntre Jagd!)』より第9曲 アリア「羊は憩いて草を食み(Schafe können sicher weiden)」のピアノバージョン、何とも安らぎに満ちた演奏です。

7/24は『ジゼル』の作曲者アダンの誕生日

7/24はバレエ音楽『ジゼル』の作曲者アドルフ・アダン(Adolphe-Charles Adam)の誕生日。

1803年パリに生まれ、父親がピアニスト・音楽教師・作曲家だったものの特に英才教育を受けたわけではなく、即興演奏が好きで音楽と戯れる子供時代。 パリ音楽院に入学し、20歳までパリの劇団一座のために歌を書き、楽団指揮者や楽長も務めました。

アダンは、自ら出資し、莫大な借金を重ねて、1847年にパリで3つ目の歌劇場、テアトル・ナショナル座を開設するも、翌年の1848年革命によって閉鎖に追い込まれ、目も眩むような借金だけが残ったという波乱の人生を送りました。 ・・・という話を知ると、『ジゼル』より第2幕が妙に腑に落ちます。 「ウイリの踊り」をどうぞ。

7/25はピアニスト中村紘子さんの誕生日

7/25は中村紘子さんの誕生日。

好き嫌いはともかくとして、日本のピアノ界に大きな影響を与え、貢献したことは確かです。 2017年ご主人である庄司薫氏と自宅で誕生日を祝った翌日にこの世を去りました。

個人的にはカレーのCMのイメージが強烈です。

7/26はピアニスト アンジェラ・ヒューイットの誕生日

7/26ピアニスト アンジェラ・ヒューイット(Angela Hewitt)の誕生日。

1958年カナダ・オタワ生まれ。オルガニストだった父親がイギリス人のためカナダとイギリスの二重国籍を持っています。トロントの国際バッハ・ピアノ・コンクールで優勝したこともあり、バッハ弾きとして知られますが今日はドビュッシー「月の光」をどうぞ。

7/27はスペインの作曲家エンリケ・グラナドスの誕生日

7/27はスペインの作曲家・ピアニスト エンリケ・グラナドス(Pantaleón Enrique Joaquín Granados y Campiña)の誕生日。

1867年カタルーニャ生まれ、ピアニストとしてイザイやジャック・ティボーとも共演しました。 「グラナドスはカタルーニャ人にもかかわらず、他の誰もがまねすることができないほどに、アンダルシアの陰の魅力を表現した。」というアルベニスの言葉通り、陰影の妙が独特の香気を放つ自作自演のピアノロールをどうぞ。

7/28は指揮者リッカルド・ムーティの誕生日

7/28は指揮者リッカルド・ムーティ(Riccardo Muti)の誕生日。

1941年イタリア・ナポリ生まれ、最初はピアニストとして研鑽を積み、歌曲の伴奏なども務めました。 オペラ「椿姫」上演に際し、オーケストラがストライキを敢行すると、ひとりでピアノを弾いて開演させたという逸話もあります。 オペラ「アイーダ」のプレゼンテーションをどうぞ。

7/29はロベルト・シューマンの命日

7/29はドイツロマン派の作曲家 ロベルト・シューマン(Robert Alexander Schumann)の命日。

ライプチヒ法科大学へ進むも、ピアニストを目指して当時名教師として有名だったフリードリヒ・ヴィークに師事、その娘クララとの結婚は父ヴィークの猛反対を最後には裁判によって乗り越えたものでした。フモレスケOp.20をどうぞ。

7/30は名伴奏者ジェラルド・ムーアの誕生日

7/30は数々の巨匠たちを支えたピアニスト ジェラルド・ムーア(Gerald Moore)の誕生日。

1899年イギリス生まれ。パブロ・カザルスをはじめ、エリザベート・シューマンやマギー・テイト、キャスリーン・フェリア、ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ、ヘルマン・プライといったそうそうたる顔ぶれの歌手たちとの共演で知られます。

高校時代にムーアの著書「お耳ざわりですか?―ある伴奏者の回想」を読んで、伴奏ピアニストという仕事について興味を持つきっかけになり、音楽についての考えを深めました。 大学生になってすぐにヴァイオリンやチェロの伴奏をすることになり、長い間、この本が私にとってのテキストであり師でもありました。 現代では、伴奏者という言い方はだいぶ少なくなり、共演ピアニストとか共演者という呼ばれ方をしますが、ムーアが若い頃には伴奏者は花の陰に隠れて客席から見えないようになっていたとか、ソリストが合図をして初めてお辞儀をすることが許されたとか・・・ 何とも虐げられた時代を生きたのね・・・と涙を誘います。 シューマンかシューベルトのリートを練習する風景を描いたところがあったのですが、「あ~、こんなにひとつひとつの音を繊細に弾くのか・・・」と目を丸くしながら読んだのを思い出します。

そのムーアの繊細なピアノソロでヘラー練習曲Op.45-9をどうぞ。

7/31はフランツ・リストの命日

7/31はピアノの魔術師フランツ・リスト(Franz Liszt)の命日。 1886年74歳で生涯を閉じました。

パガニーニのカプリースを聴いて、「僕はピアノのパガニーニになる!」と生まれたのがパガニーニ大練習曲。 指が6本あるのではないかと本気で疑われた技巧の持ち主で、かつ、演奏を聴いた婦人たちから失神する者が続出するほどに魅惑的だったようです。

パトロンだったマリー・ダグー伯爵夫人と逃避行します、駆け落ち先でダンテ「神曲」を読んで描いたのが「巡礼の年報第2年イタリア」の「ソナタ風幻想曲 ダンテを読んで」。

若い頃にキリスト教修道士の資格を得ているリストの命日に私が聴きたいのは、『詩的にして宗教的な調べ』より「孤独の中の神々の祝福」です。

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