好きで弾き始め、一生懸命練習したのに・・・
練習すると手が痛くなり、
気づいたら悪い癖がついていて、
どうしたら治るのか先生は教えてくれない・・・
でも、私は弾きたかったので、自分で考えることにしました。
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指は高く上げるのか or 鍵盤に触れたまま弾くのか
中学3年頃からピアノ奏法の本を読み始めました。
色んな本を読んで弾き方に2種類あることがわかりました。すなわち、
- 指を高く上げるのか(=いわゆるハイ・フィンガー)
- それとも、指は鍵盤に触れたところから弾くのか。
です。
それまで私が受けたレッスンでは1.の方法
「指を立ててしっかり動かし、鍵盤の底までしっかり押さえなさい」
を教わったので、指をバタバタと動かす弾き方が身についていました。
とにかく力強く鍵盤の底まで打ち付けるような弾き方を要求されたため、手も手首も前腕もガチガチに固まり、《マムシ指》の癖が出来上がっていました。
そんな私には、伸ばし気味の指で指の腹で鍵盤に触れ、その状態から鍵盤を押し下げる方法はとても新鮮で、活路を見出した思いで試行錯誤しました。
3ヶ月くらいで見るからにひどい《マムシ指》は治り、速いフレーズはラクに弾けるようになってきました。
けれど、指を伸ばして指の腹で鍵盤に触れたところから弾く弾き方をしていると、レッスンでは「もっと強く!」と言われ、やはり、指は高く上げて振り降ろさなければならないのかと悩みました。
1970~1980年代の日本は〈ハイ・フィンガー〉が主流でひとつひとつの音を強くはっきり弾きなさいという指導がはびこっていて、(今ではとんでもない話ですが)
「どんなに綺麗でも弱い音ではダメ、少々汚くても大きな力強い音がいいんだ」
と公言する(偉い)先生たちが沢山いたのです。
先生の言うことを聞いていても上手くならない!?
高校に入り音大の先生に師事、レッスンは厳しさを増しました。
厳しいというより、完全にパワハラ、今なら訴えられるレベル。。。
ミスタッチをする度に先生の機嫌が悪くなり空気が凍り付く・・・
緊張から手が震えるようになり、
だんだん人前で弾くのが怖くなって、
深刻なアガリ症に悩むようになりました。
難しいフレーズが上手く弾けないのはなぜなのか、どういう練習をすれば弾けるようになるのか教えてもらうことなく、弾けないのは練習不足=怠慢でしかなく、「弾けない状態でレッスンに来るな」が暗黙の了解でした。
根性と執念で何とか音を並べようと頑張る日々、
レッスンが近づくにつれ胃がキリキリ痛み、
レッスンが終わると次のレッスンまでにどうやって練習しようか途方に暮れる・・・
そんな真っ暗な毎日が続いて高校3年になった時、当時熱烈に憧れていたマルタ・アルゲリッチとダン・タイ・ソンのリサイタルをライブで聴き、自分のやっていることに決定的に疑問を持ちました。
「(今の)先生の言うことを聞いていても上手くならないのではないか?」
レベルの違いはともかく、目指している《方向》があまりに違い、私がやっていることは、美しい演奏とは全く見当違いだと感じました。
(生意気にも先生に対して不信感が募ったこの頃)先生の事情でレッスンがお休みになりました。
両親の方針は、
”ピアノがあるから勉強はできません、手を怪我するといけないから包丁は持てません、アレできません、コレできませんではダメだ。人間としてちゃんとしていないようでは所詮ろくなピアノは弾けない!”
私自身もピアノと同じくらい本を読むのも勉強するのも好き・・・ということで音大ではなく総合大学へ進学。この選択は正しかったという思いは歳を重ねるにつれ強くなっています。
・・・もう一度生まれ変わっても日本の音大へは行きません。。。
演奏とピアノ教師デビューで夢は叶ったかのようでした
私自身はこのようにピアノにまつわるさまざまな問題を悩んでいたのですが、周囲には軽々と楽しそうに弾いているように見えていたようで悩みを理解してもらえず、根本的な解決策が見つからない一方で、沢山のラッキーなチャンスに恵まれました。
大学2年の春休みに知人の紹介でピアノ教室の産休講師を務めることになりピアノ教師デビュー。
友人のヴァイオリン弾きのレッスンに伴奏者として同行したら、先生のリサイタルの伴奏を務めさせていただくことになりピアニストデビュー。
そのまま卒業後も演奏活動とレッスンを続けて、レッスンや伴奏・イベントでの演奏の仕事に困ることはなく、幼い頃からの夢は叶ったかのようでした。
フィンガートレーニングで指は動くようになったけれど
成果を出せば、さらに次のチャンスがやってきます。
人一倍の努力で求められるレベルに応える一方で、難しいフレーズやオクターブが続くと手が痛くなるのは相変わらず、アガリ症は深刻で人前に弾く時に指が震えて本当に困りました。
「練習が万全ならアガルことはない」などと言われ、とにかく練習したけれど、どんなに準備してもやっぱり本番は震えます。震えてボロボロになるのが怖くて息を止めて身体を固めて弾くようにさえなってしまいました。
いずれ腱鞘炎にでもなって弾けなくなるのではないかという恐怖が常にあり、ピアノ雑誌『ムジカノーヴァ』で知った藤本雅美先生のフィンガートレーニングのレッスンを始めることにしました(注:1980年代後半の話です)。
これは、準備体操によって身体の状態を整え、指の柔軟性や独立を求め、その基礎の上にスケール&アルペジョ、オクターブ、トリルなどピアノ演奏に必要なテクニックの向上を目的としたトレーニングを《無音鍵盤》(88鍵あってばねで鍵盤の動きを出している)で行なうものでした。
フィンガートレーニングによって確かに指は動くようになったのですが、このトレーニングは一通りのメニューをやると2~3時間かかるのが難点でした。1日24時間という限られた時間の中では、肝心の曲を練習する時間がなくなってしまいます。
レッスンを続けるうちに指の問題にフォーカスし過ぎではないかという疑問が湧いてきました。
私は弾きたい作品を自由に弾くことを望んでいるのであって、フィンガー・トレーニングのスペシャリストになりたいわけではないと思ったので、3年で自分から卒業しました。
アナリーゼや対位法は確かに有益だったけれど
フィンガートレーニングによって指が自由になり、楽に弾けるようになったら、以前よりも楽譜に書いてあることの意味を考えるようになりました。
和声や対位法をもう一度しっかりやり直したいと思っていた頃、藤本秀夫先生に出会いました。
対位法は2声から4声、そして大混合までやり、アナリーゼもより深く学び、楽譜を読むということの面白さ、興味深さ、そして、音楽の素晴らしさに目覚めました。
先生のアシスタントとして編曲のお仕事もさせていただき、オーケストレーションの妙味に触れることができたのはとても幸運でした。
けれど、作品の素晴らしさを知れば知るほど、その世界をどうやって自分の手で表現すればいいのか、わからなくなってしまいました。
精神力が足りないと追い詰められ
フィンガー・トレーニングで
指が動くようになっても、
アナリーゼで
作品を深く研究しても、
アガリ症は治りませんでした。
どんなに練習しても本番になると手が震えてつまらないミスをしてしまったり、身体が硬くなって思うように実力を発揮できなかったり・・・
コンクールやオーディションでどうしても結果を出すことができませんでした。
先生方には、「精神力が足りない、心を作り変えなければならない」と怒られましたが、どうしたら精神力が身に付くのか、また、心を作り変える方法は教えてくれません。
やるべきことはやっているはずなのに思うように結果を出せず、追い詰められたある日・・・
いつも行くカフェのガラスドアの前に立っと、中の人たちがみんな私の方を向いて嘲笑しているような気がして足がすくんで入れなくなってしまいました。
「あっ、病んでる・・・」
ノイローゼなのか、鬱なのか、医学書を見て確かめようと、道路の反対側にある書店に駆け込みました(カフェに入れないのに書店には駆け込めるのも変なのですが・・・)。
この時、医学書を見ていたら本当に病んでしまったかもしれません。
けれど、医学書のある地下へ降りようとエスカレーターの前まで来た時に、通り過ぎた文庫新刊コーナーの表紙の言葉を認識しました。
”人生は思い通りになる!”
そう書かれていたのはマーフィーの本でした。
私は、ピアノを弾きたくて、上手くなりたくて練習や勉強をしているはずなのに、いつまでたっても思うように弾けないのはなぜだろう?
馴染みのカフェに入れないほど病んでしまったのだろう?
全然思い通りになっていないのはなぜだろう?
・・・そのマーフィーの本を立ち読みしているうちに、幼い頃からの音楽に感動した色んな経験を思い出しました。
私がやってきたことは、何かが間違っている・・・
その本を買って帰り、ゆっくり読みながら決心しました。
(すべてのしがらみを捨て)やり直そう!
・・・子供の頃からの独身主義をあっさり撤回して35歳で結婚しました。
痛みはない、でも指がおかしい
話が前後しますが、30歳を過ぎた頃から指の異変を感じていました。
異変というのは、痛みはないけれど、指が思うように動かないというもので、32歳で初めてリサイタルを開催した時には、長時間練習していると指が固まって動かなくなっていました。
数日ピアノに触れないと、その異変は緩和されるのですが、翌年2回目のリサイタルの準備を始めると指の異常はもはや気のせいや疲れというレベルの問題ではないのを認めざるをえませんでした。
幸い、リサイタルは無事に終えたものの、その後も回復することなく、やがてスケールやアルペジョでさえゆっくり弾くこともできない状態になってしまいました。
「ド・レ・ミ・ファ・ソ・・・」とゆっくり弾こうとしても、指が固まって動かず、無理に動かそうすると手のアーチがつぶれて指を動かすことができず、弾き終わった指を上げようとしても上がらず、他の指がバタバタするという有様でした。
・・・ここで、ふつーなら整形外科を受診することでしょう。
(というか、異変があれば専門医を受診してください!!)
しかし、それ以前にも手や首・肩などの痛みで受診したことがあったのですが、痛みを訴えても「練習を休めば治る」と言われて湿布を出されるだけでした。
痛いと言っても有効な方法を教えてくれない整形外科に根深い不信感が形成され、痛みもないのに受診しても無駄だと思い病院には行かなかったのです。
話を戻して・・・
痛みはないのに指が思うように動かない、意図しないのに暴れる・・・
これがフォーカル・ジストニアだと知ったのは、異変に感じてから10年以上経過し、再び弾けるようになってからでした。
弾こうと頑張るほど指が動かない
こうして40歳を前にして全くピアノが弾けなくなりました。
人生終わった・・・
子供の頃から、上手くなりたくて頑張ってきたのに、指が動かなくなるなんて私のやってきたことは一体何だったのだろう。。。
人生を全否定されたような敗北感、喪失感、無力感、無価値感、自己嫌悪・・・
一番辛かったのは、どうすればいいのかわからないことでした。
練習すれば弾けるようになるなら、いくらでも練習する。
頑張って何とかなるならいくらでも頑張る。
でも、この「指が動かない」は、頑張って何とかなる問題ではありませんでした。
弾きたいのに、弾けない。
頑張って弾こうとするほど弾けない・・・
絶望感にさいなまれながら、活路を見出そうと模索しました。
指が動かないのはなぜだろう?
指がよく動くようになるために練習してきたはずなのに、なぜ動かなくなってしまったのだろう。
なんで一流のピアニストの指はあんなに自在に動くのだろうか?
そもそも人間の身体ってどうなっているのだろう?
・・・
そして、野口整体やアレクサンダーテクニークなどの心身メソッドに行き当たりました。
必然だった故障と挫折
ピアノを上手くなりたくて夢中で過ごした約30年の結果が故障、挫折・・・
振り返れば、それは必然でした。
どんなに頑張っても、方向が間違っていたら目指すところには到達できません。
私自身、中学時代からそのことにうすうす気づいていて、だからずっと悩み続け、色んな勉強をしました。
結局のところ、
そもそもピアノを弾くとはどういうことなのか?
日々、どういう練習をすれば上達するのか?
日々の練習は、何を目指して、何のためにやるのか、ということが明確でなければなりません。
けれど、私は、方法論についての情報を与えられる事なく、結果だけを求められ、無理やり応えるという無謀を続けていました。
当時の日本のピアノ教育事情を考えれば、仕方なかったのかもしれません。似たような経験をお持ちの方も少なくないでしょう。
私がかつて共に学んだ友人の中にも、腱鞘炎や腰痛に苦しみ挫折してピアノが弾けないことで心まで病んでしまい人生そのものが危うくなってしまった人がいます。
この最初の挫折の時に、あらためて彼女たちのことを思いました。
一生懸命練習している人が故障して挫折するのはおかしい。
努力は報われなければならない。
心と身体は切り離せない|私とピアノvol.3 へ続きます↓