8/1~10日ゆかりの音楽家を紹介しています。
8/1はピアニスト スヴァトラフ・リヒテルの命日
8/1はロシアのピアニスト スヴャトラフ・リヒテル(Sviatoslav Teofilovich Richter)の命日。
1997年モスクワで82年の生涯を閉じました。 晩学のリヒテルは、練習熱心なことでも有名で、リサイタルが終わった後にさっさとピアノに向かい、延々と練習していたというエピソードもあるほど・・・ 亡くなる3年前のフランク《前奏曲、コラールとフーガ》、リヒテルの響きはお腹にズシンと来ます。そして、何とも崇高・・・
8/2はピエトロ・マスカーニの命日
8/2はイタリアのオペラ作曲家・指揮者ピエトロ・マスカーニ(Pietro Mascagni)の命日。
27歳の歳にローマの楽譜出版社ソンゾーニョの一幕歌劇コンクールに応募して当選したのが代表作『カヴァレリア・ルスティカーナ』。 存命中は作曲家としても指揮者としても大成功をおさめますが、ファシスト党時代にスカラ座監督欲しさにムッソリーニに接近したため、1945年イタリアが降伏した後全財産を没収され、ローマのホテルで寂しく生涯を閉じました。 『カヴァレリア・ルスティカーナ』より「アヴェ・マリア」を作者自身のピアノ演奏(ピアノロール)でどうぞ。
8/3はピアニスト ルイス・グルーエンバーグの誕生日
8/3はアメリカの作曲家・ピアニスト ルイス・グルーエンバーグ(Louis Gruenberg)の誕生日。
1884年ベラルーシ生まれ、すぐにアメリカ合衆国に移住。8歳でドヴォルザークが院長を務めるニューヨーク・ナショナル音楽院に入学、20代前半に渡欧してベルリンとウィーンでフェルッチョ・ブゾーニに師事。 1919年にアメリカに帰還し、作曲家として認められるようになるにつれ、ジャズやラグタイムに強く影響された作品を創るようになっていきます。 1944年にヤッシャ・ハイフェッツの依嘱によりヴァイオリン協奏曲作品47を作曲。
ハイフェッツはユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団との共演により初演した後、ピエール・モントゥー指揮サンフランシスコ交響楽団との共演で録音しました。その演奏をどうぞ。
8/4はモーツァルトの結婚記念日
8/4はヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトとコンスタンツェ・ウェーバーの結記念日。
1782年26歳のモーツァルトは、父の反対を押し切りソプラノ歌手コンスタンツェと結婚。 悪妻と評されるコンスタンツェですが、8年間の結婚生活で6人の子供を出産し成人したのは2人・・・ 「結婚したらいろいろ分かってきますよ。いままでは半分謎だったことが。」という言葉を遺したモーツァルト。 音楽の天才も、ひとりの人間としては私たちと同じなのですね~。 結婚した年に描かれたピアノ協奏曲第12番をどうぞ。。。
8/5は指揮者 ウラジーミル・フェドセーエフの誕生日
8/5は指揮者ウラジミール・フェドセーエフ(Vladimir Ivanovich Fedoseyev)の誕生日。
1932年レニングラード生まれ、グネーシン音楽大学とモスクワ音楽院に学び、1971年にムラヴィンスキーの推挙により、レニングラード・フィルハーモニー交響楽団(現サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団)の客演指揮者としてデビュー。 1974年からモスクワ放送交響楽団の音楽監督および首席指揮者に就任、ロシア有数のオーケストラに育て上げました。
2022年11月のシェヘラザードをどうぞ。
8/6はピアニスト ソロモンの誕生日
8/6はイギリスのピアニスト ソロモン(Solomon Cutner)の誕生日。
1902年ロンドン生まれ。5歳でクララ・シューマンの弟子マチルダ・ヴェルンに師事、10歳でベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番でコンサートデビュー、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番でロンドンでデビューを果たし、「神童ソロモン」と呼ばれたことからファーストネームのソロモンのまま活動することになります。
これらの成功にもかかわらず、彼は演奏活動を中断してパリに渡り、マルセル・デュプレとラザール・レヴィについて学び、19歳で演奏活動を再開しました。 古典派からロマン派にかけて広いレパートリーの中でも評価が高いのはベートーヴェンで、1951年からベートーヴェンのピアノソナタ全集の録音に取り組むも、1956年夏、脳梗塞のために左手の薬指および小指が自由に動かなくなり、全集は未完に終わってしまいました。 ベートーヴェンが洗練された英国紳士になったようなワルトシュタインです。
8/7はピアニスト アレクセイ・スルタノフの誕生日
8/7は35歳で夭折したピアニスト アレクセイ・スルタノフ(Alexei Sultanov)の誕生日。
1969年ウズベキスタン・タシケントの音楽家の両親の元に生まれ、モスクワでピアノを学び、19歳の時にヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝するも、1995年のショパンコンクールでは圧倒的な実力で誰もが優勝を確信する中、1位なし2位。その結果を不服として授賞式をボイコットしたことで物議をかもしました。
その後もチャイコフスキー・コンクール、エリザベート王妃国際コンクールに参加するも優勝ならず・・ 中村紘子氏は著書『チャイコフスキー・コンクール―ピアニストが聴く現代』の中で、既にプロとして活躍しているスルタノフがいつまでもコンクールに出続けることに対する審査員の微妙な心象について語っています。 とは言え、スルタノフには、彼なりの事情があったことでしょう。 そもそもショパンコンクールで優勝できなかったのは、中央アジア生まれでウズベク人の彼に対して、審査員の人種的偏見があったとかなんとかいう話はいつもついてまわっています。
今なお熱烈なスルタノフファンがいて、応援ホームページもあります。
熱い演奏が多いのですが、一番涼し目にショパンコンクールの演奏でショパンのバラード第4番です。
8/8はヴァイオリニスト ヨゼフ・スークの誕生日
8/8はヨゼフ・スーク(Josef Suk)の誕生日。
1929年チェコ生まれ。作曲家ドヴォルザークの曾孫でもあります。 プラハ音楽院卒業後、プラハ四重奏団の第1ヴァイオリン奏者として音楽活動を開始、その後、チェロのヨゼフ・フッフロ、ピアノのヤン・パネンカと「スーク・トリオ」を結成。ピアノトリオの決定版とも言える名演を数々生みました。 曾お祖父ちゃんドヴォルザークのピアノ三重奏曲第4番「ドゥムキー」です。
8/9はヴァイオリニスト ローラ・ボベスコの誕生日
8/9はヴァイオリニスト ローラ・ボベスコ(Lola Bobesco)の誕生日。
1921年ルーマニア生まれ。パリに留学し、エコールノルマル音楽院に学び、戦後はピアニストである夫ジャック・ジャンティとデュオを結成しました。 夫婦デュオでフランクのヴァイオリンソナタです。 ヴィヴラートとテンポ・ルバートてんこ盛りの演奏ですね。
8/10は作曲家アレクサンドル・グラズノフの誕生日
8/10はバレエ音楽『ライモンダ』の作曲者アレクサンドル・グラズノフ(Aleksandr Konstantinovich Glazunov)の誕生日。
1865年サンクトペテルブルク生まれ。幼少時より神童と騒がれ、13歳でサンクトペテルブルク音楽院に入学。 作曲家、指揮者としての活動にとどまらず、サンクトペテルブルク音楽院の院長を務めるなど幅広く活動するも、1928年にウィーンでのシューベルト没後100周年記念行事に出席するためソ連を出たきり二度とソ連に戻りませんでした。
その後、ヨーロッパとアメリカ合衆国を巡り、パリに定住しするも、ロシアに戻らないのは、亡命ではなく「体調不良」と言い張ったため、ラフマニノフやストラヴィンスキーとは違い、ソ連における尊厳を失わずに済んだと言われます。
ピアノソナタ第1番をどうぞ。