武蔵野市民文化会館は、コロナ前夜の2019年12月セルゲイ・ババヤン以来・・・
2021年ショパンコンクールで最も私の印象に残ったピアニスト ピョートル・アレクセイヴィチ ピアノリサイタルを聴きました。
コロナ禍の間、ネットに入り浸りヒストリカル演奏に夢中になり、現代の演奏家に興味が薄れていましたが、いやいや、頼もしい若手がいるではないかと目の覚める思いでした。
備忘録です。
2021年ショパンコンクールで最も印象に残ったのがアレクセイヴィチ
ピョートル・アレクセイヴィチ(Piotr Alexewicz)の存在を知っている日本人はどれくらいいるのでしょう。
メジャーコンクールの優勝者、あるいはよほど強烈な個性か話題がないと一般の人には名前を覚えてもらえないんですよね。
私がアレクセイヴィチを知ったのは、2021年ショパンコンクール。1次から物凄く好きで優勝してもいいのではないかと期待していましたが、残念ながらファイナルに進めませんでした。それがコンクール、長く配信を聴き続けてきたので、そういうこともあるか・・・とは思いましたが、しかし、今でも、ファイナリストに比べて何ら劣る事はないと思っています。
そして、この日のリサイタルはその事を証明してくれました。
2000年ポーランド生まれ、今年23歳ですね。
明快なシューマン『ウィーンの謝肉祭の道化』
プログラムはロマン派の三大作曲家シューマン、リスト、ショパン。
オープニングは、シューマン ウィーンの謝肉祭の道化Op.26。
この曲は、謝肉祭Op.9やクライスレリアーナOp.16、交響的練習曲Op.13に比べるとやや人気度や演奏機会が下がる傾向にありますが、アレクセイヴィチはこの曲の魅力をたっぷり教えてくれて、会場は大いに盛り上がりました。
第1曲、冒頭のテーマは何度も繰り返されますが、このテーマってなんか突っかかるような妙な印象があるのですけれど、アレクセイヴィチは鮮やかなバウンドでとても心地よいものでした。次々に登場するエピソードのキャラクターがそれぞれ際立ち、何よりも生気にあふれた闊達な演奏に思わず手に汗握るようなドキドキ感、ライブならではの醍醐味を味わいました。
シューマン独特の転調や和声の綾が、多彩な音色と豊かな響きと絶妙なペダリング、決して無理のない自然な演奏で楽器をよく鳴らし、心地よいリズムに聴衆をすっかりとりこにしました。
とても明快な演奏で、個人的にはこの曲を初めて、心底弾きたいと思いました。
ダンテを読んでの『ダンテを読んで』
続いてリスト「エステ荘の噴水」と「ダンテを読んで」。
ショパンコンクールの時のアレクセイヴィチの印象では、ややメカニックが頼りない印象でしたが、いやいや、あれから2年猛特訓したのでしょうか。繊細で軽やかで力強く・・・極めてクオリティの高いテクニックを身に着けていました。
リストの2曲は、完璧と言いたいほどに自然で見事な演奏。
エステ荘の噴水のトレモロやアルペジョは、これ以上に望めないほど繊細で美しくそしてもれなく正確でまさに噴水の水しぶきや陽射しによって虹が浮かぶような幻想的な景色と心象風景を聴かせてくれました。
続く『ダンテを読んで』は、ちゃんとダンテ『神曲』を読んだ事がわかる『ダンテを読んで』だったのが本当に嬉しかったです。こういうダンテは若いピアニストの演奏では稀有です。和音の連打やオクターブも見事でこの曲の深淵で恐ろしい凄い世界を存分に描いていました。終盤の跳躍も見事でしたが、それらはただの腕自慢ではなく作品の世界を表現する事、ただそれだけという”当たり前”がそこに実現されていました。
表現したい気持ちがあれば、技術的な拙さは(以下略)みたいな事が言われたりしますけれど、いやいや、表現したい事があるなら技術は必要です。お金があれば買えるものもお金がないと買えない的に技術なかったらアウトですよね。
アレクセイヴィチは欲しいものは何でも買って豊かさを実現できるレベルに、何の苦もなくその手から表現したい世界を存分に生み出していました。
前半終了して、カーテンコール3回。会場は熱気に包まれていました。
オリジナリティあふれるショパン前奏曲
後半はショパン 24の前奏曲Op.28。ショパンコンクールのセミファイナルでも演奏した曲ですが、コンクール時とは別人のように活き活きと大胆でユニークで、オリジナリティあふれて、興味深く、惹きこまれてあっという間の24曲でした。
ショパンコンクールの時のこの曲については色々言われていましたけれど、今思うに”彼のやりたい事”とコンクールに付き物の”こう弾け!”と言われる事のギャップや矛盾で不完全燃焼だったのではないかという気がちょっとしました。この日の演奏は、”彼自身”全開の完全燃焼でした。
少し話はそれますが、Op.28-24dmollのラストのdを(両脇のcとeを無音で押さえて)拳て叩くのって誰が始めたのでしょう。私は1980年ショパコンのダン・タイ・ソンで初めて見ました。アレクセイヴィチもそれ。ついでに、この24番冒頭のメロディは、右手握って親指での1本指奏法で、独特の深く濃厚な響きを実現していました、お見事!
会場は湧き上がり、何度もステージに呼び戻され、真ん中より後ろの席ではスタンディングオベーションも多数!
それに応えてのアンコールは4曲、スカルラッティのソナタ、ショパンのワルツ2曲、そして最後はショパンのマズルカOp.24-2でした。
”何でも聴き放題”時代のピアニスト
囲碁・将棋の世界ではAIを駆使した研究で素晴らしい若手が育っていますが、アレクセイヴィチはネットで”何でも聴き放題”を駆使して過去から現在のピアノソロはもちろんあらゆる演奏を聴いて自分の音楽を作り上げている印象でした。
指揮をしたい意思もあるのかな?と感じさせるほど、オケも浴びるほど聴いていると思われるようなアンサンブル感覚、曲間での間の取り方、アゴーギグなど非常によく勉強していることが伺われる興味深い演奏でした。
コンクールが乱立し、賞味期限の短い入賞者が次々量産され、手っ取り早く結果を求めるかのような演奏を志向する若い演奏家が多い中でとても頼もしい存在です。
・・・Youtubeにもこの日のプログラムの曲がアップされているのですが、どうも昨今の録音って本当に大切なものが捨てられてしまうのか、全く良さが伝わりません。どうかYoutube聴いて「大したことないじゃん」と思わずに、是非ライブを聴いてください。
話しはそれますが、古い録音を聴くには脳内ノイズリダクションが必要だけど昨今の録音は逆に脳内肉付けが必要だと思うんですよね。CDにしろネットにしろ、極端に言えばレントゲン写真のように丸裸で違いが微差にしかならない印象があります。
クラシック、とりわけよく聴いているピアノに関して言えば、現在の技術で記録出来ない要素が切り捨てられるので、例えば音が汚くてうるさい演奏はそれなりの演奏に底上げされ、豊かな響きや印影と言ったものは捨てられるので平凡になってしまい、結局平均化される印象です。
やはり、録音は録音。記録や情報としては貴重ですが、演奏はライブで聴いてこそ!だと改めて思いました。
ピョートル・アレクセイヴィチ ピアノリサイタル|プログラム
ピョートル・アレクセイヴィチ ピアノリサイタル
《プログラム》
♪シューマン/ウィーンの謝肉祭の道化 Op.26
♪リスト/巡礼の年第3年 S.163より《エステ荘の噴水》
♪リスト/巡礼の年第2年「イタリア」S.161よりソナタ風幻想曲《ダンテを読んで》
~休憩~
♪ショパン/24の前奏曲 Op. 28
《アンコール》
♪スカルラッティ/ソナタ K.39
♪ショパン/ワルツOp.64-1「子犬のワルツ」
♪ショパン/華麗なる円舞曲Op.34-3「子猫のワルツ」
♪ショパン/マズルカOp.24-2
2023年6月23日(金)19:00開演
武蔵野市民文化会館 小ホール