能・狂言へのいざない|日本の伝統芸能は新鮮でした

春の足音が聞こえそうな穏やかな2月最初の土曜日、武蔵野市民文化会館大ホールで能と狂言を鑑賞してきました。

正直なところ、私、邦楽をはじめ日本の伝統芸能には極めて疎く、能や狂言の舞台を観るのは多分人生2回目。1回目は高校の時に学校の行事として観たはずだけれど内容は全く覚えていません。

興味津々で観てきまして、実際とても面白かったです。

狂言の演目は『鐘の音』、能は『船弁慶』・・・

ささっと覚え書です。

♪この記事を書いた人
Yoko Ina

音楽&ピアノ、自然、読書とお茶時間をこよなく愛しています

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喜劇的なものと悲劇的なものは洋の東西を問わない

この日の狂言と能の演目を見て感じたこと。

それは、洋の東西を問わず、人間は喜劇的なものと悲劇的なものも持っているということです。すなわち、

  • 狂言:喜劇=オペラ・ブッファ
  • 脳:悲劇=オペラ・シリア

光あるところに必ず影があるわけですが、喜劇と悲劇は人間の根源的な精神だなと思いました。

歌と踊りは人間の表現の本能

喜劇的なるものと悲劇的なるものと共に、人間の本能だと感じたのが、

歌と踊り

です。

この日の演目で言えば、

  • 狂言は、アカペラのオペラブッファと踊りの融合
  • 能は、オペラシリア(オーケストラ付き)と踊りの融合

だと思いました。

能と狂言を見ながら、クラシック用語に翻訳したくなるのは、クラオタの悲しい性です。我ながら「一体私のアイデンティティは何だろう???」と考えてしまいました。

男性オンリーの舞台に素朴に感じたこと

さて、演目ですが・・・

狂言は『鐘の音』。あの野村萬斎さんが出演され、笑いの絶えない愉快なものでした。

能は『船弁慶』、こちらは、ちょっと難しかったですね。

能の表現というのは、非常に洗練された「象徴」で、例えば「泣く」というのは、手を顔の前に出すだけなのですが、それは、最初に簡単な解説があったからわかったものの、それを知らないと何なのか全くわからないだろうと思いました。

万事がその調子で、洗練されていると言えばそうなのですが、その一方で、なるほど、言うべきことを言わない、忖度を求める日本人気質はこういうところにも現れているのだなと微妙でした。

これは、要するにその暗黙のルールを知っている者だけが理解できる完全なる「村社会」と言えます。

これが、オペラやバレエなら、難しいことはわからなくても美しいと感じ、楽しめますが、能は、知らないと全くわからないでしょう。

さらに、能の舞台は男性オンリーです。

『船弁慶』には義経を慕う静御前が登場するのですけれど、とーぜん静御前を男が面を付けて演じます。声は男。それが能だと言われれば、「はい、そうですか」と言うしかないのでしょうが、オペラやバレエなら女の役はちゃんと女が歌う(演じる)ことを思うと微妙でした。

子供のころ二言目には「女のくせに」と言われたことを思い出し、舞台にいる殿方たちは、そこが男性オンリーの場であることをどう考えているのか聞いてみたい気がしました。

能と狂言のリズムはとても躍動的でした

さてさて・・・

この日、もうひとつ関心事がありまして、それは能や狂言のリズムってどういうものなのか、ということでした。

というのも、よく「日本人は、リズムが悪い」って言われるからです。

結論から言って、能や狂言のリズムは非常に躍動的で活き活きしたものでした。複数の演者の掛け合いの呼吸とか、それは素晴らしく、本質的にはクラシックと変わらない、人間の本能を見る想いでした。

日本人のリズムがどうのというのは、教育やコンクールに問題がありますね。。。

プログラム|能・狂言へのいざない

能・狂言へのいざない

☆プログラム
プレトーク(解説)
狂言「鐘の音」
能「船弁慶」

【解説】坂口貴信

【狂言「鐘の音」】
野村萬斎、竹山悠樹

【能「船弁慶」】
前シテ:観世清和
後シテ:山階彌右衛門
子方:谷本悠太郎
ワキ:森常好
間 :野村太一郎
笛 :一噌隆之
小鼓:鵜澤洋太郎
大鼓:亀井広忠
太鼓:林雄一郎

2019年2月2日(土)午後2時開演
武蔵野市民文化会館 大ホール

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