なぜバッハを弾けと言われるのか|バッハを弾きたくないあなたへ

ピアノを学ぶにあたり、

バッハは大事!
バッハを弾け!

と言われます。

子供時代にピアノを習う人は、ブルグミュラーが終わったあたりでバッハのインベンションを弾き始めますが、ここで挫折する人が実に多いです。

大人になってからピアノを始める人も、先生に言われるままにインベンションを弾き始めたはいいけれど、面白さがわからないを通り越して悪戦苦闘するケースがとても多いです。

彼らは素朴に思うでしょう、

何でバッハを弾かなければならないのか?
ホントにバッハを弾けば上手くなるのか?

その疑問の底にあるのは、

バッハ難しすぎ!
面倒くさ過ぎ!

本音は

バッハなんか嫌だ!
弾きたくない!

だろうと思います。

「なぜバッハを弾くべきなのか」バッハに辟易している人に理解してもらえるように答えるのはかなり難しいです。というのも、もっともな答えが光をもたらすとは限らないからです。

しかし、バッハを弾くべきと考える人や当たり前に勉強している人と、バッハで苦労し辟易している人の間には大きな溝があって、それこそが万年初級・万年中級と上級を分ける”何か”であることも確かです。

当然プロはバッハを勉強しています。身近なピアノ仲間の「あんな風に素敵に弾けたら・・・」と目標にされるような人も、かつてはバッハをそれなりに弾いたか、もしかしたら現在進行形のはずです。

そこで、なぜバッハを弾けと言われるのか、考えてみようと思います。ひょっとしたら単なる思い込みでバッハを弾かなくてもいいのかもしれません(いやいや・・・)

思いつくままに書いてみようと思います。

♪この記事を書いた人
Yoko Ina

音楽&ピアノ、自然、読書とお茶時間をこよなく愛しています

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バッハは大切だと言われ無条件で刷り込まれた子供時代の私

まず、私自身にとってのバッハを振り返ってみます。

子供時代を”近所にピアノの先生がいない”田舎に暮らしたため、私の最初の先生は昭和の時代にNHK教育テレビ(Eテレ)で放送されていた『ピアノのおけいこ』でした。

長年続いていたその番組は、当時の私と同年代の超初心者レベルのシリーズからチェルニー30番くらいの人たち、リスト『メフィストワルツ』を弾く人たちと様々なレベルで半年1クールでした。共通していたのはどのレベルのシリーズのテキストもバロック・古典派・ロマン派・近現代、そして邦人作品とあらゆる時代と国の作曲家の作品で構成されていたことです。

ある時、超初心者対象のシリーズで、バッハを弾いた生徒に講師の先生(多分、井内澄子先生)は切々と語りました。

バッハはピアノを弾く人にとってとても大事なの。ピアノを勉強する人は必ずバッハを勉強しなくてはならないの。上手くなりたいならバッハをしっかり勉強しなくてはならないの。大人になってもずっと、一生バッハを勉強しましょうね。

先生の穏やかながら並々ならぬ熱意のこもったその言葉は無条件に私に刷り込まれました。

ピアノを上手くなりたいならバッハを勉強しなくちゃいけないんだ!
早くバッハを弾きたい!!

小学4年生の冬、いよいよバッハのインベンションを弾くことになった時の喜びはたとえようもなく、誇らしささえ感じました。

いきなりのポリフォニーで難しかったはずですが、嬉しさが難しさをなぎ倒していったのか・・・苦労した記憶はありません。インベンションを弾き進む毎に上達への階段を上っているようで嬉しかった記憶しかありません。

刷り込みの威力のおかげか、幸せなことに私はバッハに負のイメージが全くないんです。。。

負のイメージがないばかりか、

わっ!バッハって凄すぎる!!!
やっぱりバッハをちゃんと練習しないと~。。。

と再認識することばかりで、現在に至っています。

誰がバッハを弾けと言いだしたのか

私にバッハの大切さを説いたのは、『ピアノのおけいこ』の講師の先生でしたが、その先生もやはり先生から

バッハは大事!
バッハを弾け!

と子供の頃から言われ続けて勉強しているうちに「あ~、バッハって偉大でしっかり勉強するべきなのね~」という境地に至ったに違いありません。そして、先生の先生もやはり、先生から言われ、なるほど・・・となっているはずです。

そこで「バッハを弾け」「バッハは大切」と誰が言っているのか、遡ってみることにしましょう。

現在の巨匠たちに影響を与えている存在として、たとえばウィルヘルム・バックハウス(1884-1969)はこう言っています。

全ての基本はスケールの練習と、そしてバッハ。

この話、池田理代子さんの『オルフェウスの窓』でイザークがバックハウスに会うシーンに出てきます。そこでは「全ての基本はスケールとアルペジョ、そしてバッハです」だったような気がしていますが、フィクションかと思っていたら、実際にバックハウスの言葉だということを後に知って池田理代子さん、さすが!!と思いました(失礼!)

話を戻して・・・

バックハウスの師ダルベールはリストの弟子で、リストはチェルニーの弟子、チェルニーはベートーヴェンの弟子、つまりバックハウスはベートーヴェンの直系の弟子なのです。

ベートーヴェンはボン時代の師ネ―フェによってバッハ《平均律クラヴィーア曲集》を知りました。この時は演奏の修行として学んだようですが後年、集中的に筆写、研究しています(画家が修行として優れた作品を模写するように音楽家も作品を写譜して研究します)。ベートーヴェンはバッハをとても尊敬していて、フーガも得意中の得意です。

バックハウスは一般にはベートーヴェン弾きのイメージが強いですが、実は世界で初めてショパンのエチュードOp.10&25を全曲録音した人です(1928年)。

作品10↓

作品25↓

ショパンはバッハをとても敬愛していて、自分の演奏会の前は平均律クラヴィーア曲集を愛奏していました(自分の曲は練習しなくても大丈夫だったんですね~)。ジョルジュ・サンドたちとマヨルカ島へ行く際にも携えていったのです。

また、ショパンと同じ年に生まれたシューマンは『音楽と音楽家』の中でこう語っています。

よい大家、ことにヨハン・セバスチャン・バッハのフーガを熱心にひくように。《平均律クラヴィーア曲集》を毎日のパンとするように。そうすれば、今にきっとりっぱな音楽家になる。

誰が「バッハを弾け!」「バッハは大事!」と言っているのかをたどると、シューマン、ショパン、ベートーヴェン・・・にたどり着きます。

そして、シューマン、ショパン、ベートーヴェン、そしてモーツァルト、メンデルスゾーンも・・・たどるとバッハの息子たちの弟子(の弟子)ということになり、もれなくバッハ本人にたどり着きます。

先行研究を知り、学ぶことの大切さは音楽においても例外ではありません。

バッハは”天才音楽家”たちが偉大さを認めた音楽家で、彼らがバッハを勉強しろと言っているのだから、弾いてみるか・・・というところから入ってみるのはアリだと思います。

バッハは弾くだけでなく書く勉強のために作曲した

そもそも、作曲家と演奏家が独立したのは音楽史的にはごく近年で20世紀半ば以降のことです。それ以前は、作曲家と演奏家というカテゴリー分けはなく音楽家というのは書いて弾く人でした。

ショパンも、リストも、ベートーヴェンも、モーツァルトも・・・自分の作品を自ら演奏していて、もちろんバッハもそうです。

バッハはインベンションや平均律などの鍵盤楽器のための作品を”教材”として作曲しましたが、教材というのは単に”演奏のため”だけでなく、”作曲の勉強”のためでもあったのです。

作曲するわけじゃないから作曲の勉強なんてする気はない
好きな曲が弾きたいだけだ!

そう思われるかもしれません。

しかし、文法をわからないで外国語を理解するのが不可能なように、音楽もまた”音楽の文法”を知らなければその曲が何であるかを理解するのは無理で、意味不明なものを演奏するのは不可能なのです。

ショパンやリストの人気作品は甘いメロディーゆえに人気ですが、ピアノという楽器は”ひとりアンサンブル”ですからヴァイオリンやフルートのようにメロディーだけ演奏していればいいわけではなく伴奏も自分で演奏しなければなりません。

バッハの音楽は”メロディーと伴奏”ではなく、”メロディーとメロディー(とメロディー・・・)”なのですが、これをポリフォニーと言います。対して”メロディーと伴奏”をホモフォニーと言います。

ポリフォニー:複数の声部が対等
⇒登場人物が対等で複雑に絡み合う関係。三声なら三角関係(難しいわけです)

ホモフォニー:主旋律と伴奏
⇒バレエ「白鳥の湖」なら白鳥オデットと後ろで踊るコールドバレエみたいなもので、完全なる主従関係。

音楽史的に大雑把に言うと、ポリフォニーはルネッサンス時代に全盛、バロック時代も基本的にポリフォニーですが既にホモフォニーは確立されていて、古典派以降はホモフォニー・・・イメージです。

ポリフォニーを理解する、駆使して作曲する、演奏するための教材としてバッハは鍵盤楽器の作品を書きました。

だから、インベンションや平均律クラヴィーア曲集を勉強するということは、単にピアノの鍵盤の上で指を動かすということだけではなく”ポリフォニーを学ぶ”という意味を含んでいます。

ショパンも、シューマンも、メンデルスゾーンも、ベートーヴェンも、モーツァルトも・・・そうやってバッハを勉強し、尊敬し、自らの作品に活かして作品を描きました。実際、彼らの作品はポリフォニー的な性格がとても強いのです。

そう考えると、バッハの音楽は”クラシック音楽の原点”と言っても過言ではないでしょう。

リストを弾きたいならバッハは弾かなくてもよいかもしれない

「なぜバッハを弾かなければならないのか?」と言ったら、バッハ抜きでクラシック音楽は語れず、偉大な先人達に習って勉強しましょうというところに落ち着きます。

とは言え、大人のピアノとして、リストを弾きたい人はバッハを弾かなくてもいいかもしれないと個人的には思います。

理由は、リストの人気のピアノ曲はあんまりポリフォニーじゃないからです。

ラ・カンパネラをはじめとするパガニーニ大練習曲やコンソレーション、愛の夢第3番・・・どれも”メロディーと伴奏”(ホモフォニー)です。

リストを弾きたいなら、リストがそうしたようにスケール&アルペジョやオクターブ、トレモロ・・・に勤しむのがいいかもしれません。

しかし、ショパン、シューマン、ベートーヴェンは言うに及ばず、モーツァルト、ハイドン、メンデルスゾーン、それから「前奏曲集」というタイトルの曲を描いている作曲家たち~ドビュッシー、スクリャービン、ラフマニノフ、シマノフスキetcを弾きたいならやっぱりバッハ必須です。「前奏曲集」はバッハの平均律クラヴィーア曲集に影響を受けていることの表れだからです。

身も蓋もない言い方をすると・・・

バッハは難しすぎてわからない、面白くないと苦労しているというのはそもそもバッハの面白さや勉強の仕方や練習の仕方を教えてもらっていないということです(断言します)。

バッハの鍵盤楽器のための作品は、いわばパズルのような作りになっているのでコツコツ勉強しさえすれば必ず弾けます。

誤解を恐れずはっきり言いますが、

バッハを習っているにもかかわらず苦労しているなら、先生を変わった方がいいです。

そもそも、ピアノを弾くのは決して簡単なことではありません。そのチャレンジを少しでも実り多いものにするためにサポートすること、いたずらに悩むことなく喜びの多いものとなるようにフォローすることが先生の仕事なのですから・・・

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