練習して弾けるようになったら、
聴いて欲しいと思うのは自然なこと・・・
スマホで撮って即!SNSにアップできるのですから、どんどんアップしたらいいと思います。
しかしですね、時々、
よくこんな(下手な)演奏をアップできるよな・・・
みたいなコメントを付ける人がいますよね。
こういう人がいるから、ピアノを弾く・習うのが”恥ずかしい”に拍車をかけると思うんですけれど、そもそもそんなコメントつける方がおかしい、クレイジー!
仮に、ホントに聴くに耐えないと感じたなら、黙ってスルーすればいいだけ・・・
なんで、いちいちこんなコメントするのか、そこには
屈折した、気の毒としか言いようのない心理がある
と想像します。
大体、こういうコメント付ける人は、たいてい自分も演奏する人です。たぶん、相当頑張ったのに(あるいは頑張っているのに)思い描いた結果が出なくて屈折してしている人です。
お気の毒に・・・
慈悲の心でスルーすればいいのですが、なかなかそうはいかないかもしれません。
清水の舞台から飛び降りる勢いでアップしたのにそんなコメントついたら、やっぱり傷つく・・・というあなたに、私の体験談をご紹介します。
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それは2016年夏、Twitterをアクティブに使い始めた頃でした。
色んな方が演奏をアップしているのが楽しそうで、録音するのはいい練習にもなるし・・・と練習の一コマをiPhoneで撮ってアップしたら
よくこれで恥ずかしくなくアップできるよな・・・
みたいなコメント付きで引用リツイートされました。
私は上手いと思ってアップしたわけじゃないし、下手なのは言われるまでもなくよ~く自覚しているし、凹むことも落ち込むこともなかったんですけれど、黙って引き下がるほどおとなしくないので、
”あなたもアップしたら?”
の気持ち(皮肉)も込めて、その引用リツイートに徒然草第百五十段の一節(↓)を付けて引用リツイートしてやりました
能をつかんとする人、「よくせざらむほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得てさし出でたらむこそ、いと心にくからめ」と常にいふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。
そうしたら、その人、即効で自分の引用リツイートを削除しちゃったんですよね(笑)
売られたケンカ、
買ってあげようと
思ったのに・・・
まあ、そういうコメントする人ってそんなモノ、恐るに足りません。
もしも、SNSにアップした演奏にネガティブコメントがついたら、是非お試しくださいね~。。。
参考までに全文の現代語訳↓
これから芸事を身に着けようとする人はとかく「ヘタクソなうちは誰にも見せたくない。こっそり練習して、ある程度見られるようになってから披露するがカッコいい」と言うものだけど、そういうことを言っている人が最終的にモノになった例えはひとつもない。
まだ未熟でヘタクソな頃から、上手くてベテランな人たちに混ざって、バカにされて笑われて、それでも恥ずかしがらずに頑張っていれば、特別な才能がなくても上達できる。道を踏み外したり、我流に固執することもないだろう。
そのまま練習し続けていれば、そういう態度をバカにしていた人たちを遥かに超えて、達人になっていく。 人間的にも成長するし、周囲からの尊敬も得られる。
今は「天下に並ぶ者なし」と言われている人でも、最初は笑われ、けなされ、屈辱を味わった。それでもその人が正しく学び、その道を一歩一歩進み続けてきたおかげで、多くの人がその教えを授かることができるようになった。
どんな世界でも同じである。
(https://grapee.jp/112261より引用)
ところで、この有名な話、基本的にはうなずけるのですが、どうしても引っかかってスルー出来ないところがあります・・・続き↓