リオ・オリンピックでの日本チームの素晴らしい活躍の背景には、スポーツ医学の発達とナショナルトレーニングセンターの存在があります。
一方、実は過酷な肉体労働である楽器演奏についての研究やサポート体制は、欧米に比べ日本ははるかに遅れています。
日本での音楽家医学研究が始まって20数年・・・
2015年に日本初(アジア初)の音楽家のための医科学研究を行う研究機関である音楽医科学研究センター上智大学に設立されました。(3年の時限研究部門)
8/23(火)は上智大学で演奏家の脳を科学的に研究する講座を聴講しました。
午前は、上智大学音楽医科学研究センター主催 特別シンポジウム。
午後は、PTNA主催ピアノフェスティバルvol.65音楽家の脳×科学者の脳vol.2
この記事では、午前中の上智大学音楽医科学研究センター主催による特別シンポジウムについてレポします。
- 『音楽を感じる脳』
講師:藤井進也先生(東京大学教育学部特任助教) - 『音楽が傷つける脳』
講師:坂本崇先生(国立精神神経医療研究センター病院神経内科診療部 第三神経内科医長)
音楽を感じる脳 藤井進也先生
藤井先生は京都大学在学中にアン・ミュージック・スクール京都校ドラマ科に入学されドラマーとしても活躍されたという研究者としては異色の経歴の持ち主。
研究を始められた当時、PubMedで「drummer」を検索したらたった6件しか見つからなかった事に驚き、嘆き、ドラマーの演奏と脳を研究しよう!と思われたそうです。
*PubMed:アメリカ国立医学図書館の国立生物工学情報センター(NCBI)が運営する医学・生物学分野の学術文献検索サービス。wikipediaより引用。
自らもドラムを演奏される研究者としての藤井先生のお話は演奏家視点にマッチした、リアリティ豊富なものでした。
演奏が上手く行かない原因には知覚と運動のふたつが考えられる
演奏と脳ということで、最も一般的な「音痴」の話。
いわゆる音痴とは、脳科学的に2種類あるそうです。
すなわち、音の高い・低いが聴いてわからない人と聴けばわかるが歌えない人。
2つの音を聞かせて高いか低いか答えてもらう。
⇒正しく答えられない⇒知覚的に問題があるからそもそも再現できない。
⇒正しく答えられれば、頭では分かっている(知覚的には問題ない)。
⇒聴いた通りに歌ってもらう⇒出来ないのは運動的に出来ない。
知覚と運動は、つかさどる脳の部位が違います。
音痴は、そもそも違いが聴き分けられないのか、違いはわかるが再現できないのかで脳科学的には全く違うので、教育方法も違うのです。
リズムにも同様の研究が報告されました。
「何拍子なのか」わかっても、自分で再現できないとリズム音痴になってしまいますし、そもそも鳴っているのが「何拍子かわからない」なら、再現しようがないわけです。
音楽を聴いて脳のどこが活動するかはひとりひとり違う
音楽を聴くと、脳の聴覚をつかさどる部位が活動すると思われていますが、実際には脳全体が活動するそうです。
データを見せてくださいましたが、本当に脳のあちこちが凄い勢いで活動しているのが見て取れました。
また、脳全体の活動の仕方は、まさにひとりひとり全く違うのです。
だから、音楽を聴いて感じることは人それぞれであり、演奏もみんな違うのですね。
自分に聴こえるものを自分のやり方で表現しているのだな~と科学的に納得しました。
関西弁が小気味よい藤井先生の講座は笑いの渦の中に、「へえ~!!!」なとても面白いものでした。
音楽が傷つける脳 坂本崇先生
坂本崇先生は、演奏家の間ではジストニアに詳しいお医者様として知られています。
(国立精神神経医療研究センター病院 神経内科診療部 第三神経内科医長)
ピアノを弾く人の故障はどういうもので、どうしたらいいのか、「演奏家の手」の専門医として本当に親身になって考えてくださっているありがたい内容でした。
以下、簡単にレポします。
ピアノが弾けない時どこで診療してもらう?
ピアノが弾けないというのは医学的に4つに分けられ、診療する科も違うのです。
- 力が入らない ⇒脳神経外科
- 痛くて動かせない ⇒整形外科
- 緊張してふるえる ⇒精神科・心療内科
- 余計な力がはいる(ジストニア) ⇒神経内科
ピアノが弾けないとはどういうことか?
鍵盤をたたくということを脳と身体の関係として説明すると、弾けないというのはこういうことだと坂本先生はおっしゃいました。
「弾けない」ということは、脳からの司令が脊髄の運動ニューロンから筋に伝えられるというその経路のどこかに問題があるということ。
そのどこに問題があるかを突き止め、適切な治療を施せば弾けるようになるわけです。
指を動かす神経は3つしかない
ピアノを弾く指の動きは複雑かつ精密を極めるわけですが、そんな指の運動をつかさどる神経は3つしかないのです。
- 正中神経(ここから分岐する「前骨間神経」に問題が生じるケースが多い。)
- 尺骨神経
- 橈骨神経(ここから分岐する「後骨間神経」に問題が生じるケースが多い。)
神経が物理的圧迫を受けて指が動かないケース
指を動かす神経が圧迫されているために指が動かないというケースは主に2つです。
- 手根管症候群問題
- 肘部管症候群
どうして圧迫が起こるかというと、色んな要因があるようですが、圧倒的に多いのはオーバーユース、すなわち使いすぎによる炎症です。
炎症の治療は、消炎鎮痛剤、ステロイド、装具、リハビリがあります。
しかし、本当は、炎症を起こす前に休養するのが大切なのですよね。
誰でも心理的圧迫で指がふるえる
本番で指が震えてしまい、弾けなくて困った(><)
楽器を演奏する方なら、そんな経験をお持ちでしょう。
私も、もう人前で弾くのをやめようと何度も本気で思うほど失敗は数知れず・・・
これについては、坂本先生はこう言い切られました。
誰でも心理的な圧迫でふるえることがある。
不随意運動は心理的な影響で悪化する。
ゆえに、緊張のコントロールが大切になるわけです。
音楽家のジストニア
音楽家の故障の中で最も難治性なのがジストニアです。
ジストニアとは、中枢神経系の障害による不随意で持続的な筋収縮にかかわる運動障害の総称。wikipediaより引用。
ジストニアの特徴のひとつが動作特異性です。
これは、ある特定の動作の時だけ症状が出現するというものです。
つまり、ピアノを弾く時だけ人差し指が意に反して曲がってしまうけれど、普段の生活では症状が出ない。またピアノを弾く時にもスケールやアルペジョでは症状が出るが、オクターブは大丈夫という感じになります。
もうひとつは、常同性。
これはいつも同じ症状が現れるというもの。
つまり、ある時は薬指が曲がって困り、別の時には人差し指が曲がらなくて困る・・・というものではなくスケールを弾く時には決まって薬指が巻き込んでしまうというものです。
ジストニアは治療よりも予防!最も大切なのは「休む勇気」
ジストニアは発症してしまうと、弾けない!練習できない!で音楽生命の危機に直結してしまいます。
従って、ジストニアは治療よりも予防が何より大切です。
弾けないから練習を頑張るという「悪循環」を断ち切ることが重要と言われました。
弾けない
↓
技術不足・練習不足
↓
もっと練習を頑張る!!!
↓
症状の悪化
・
・
・
休む勇気こそが、最も有効な予防法なのです。
音楽家のジストニア治療の難しさ
ジストニアの治療は、現在、外科治療、薬物治療、ボツリヌス治療の3つがありますが、症状の改善にはなっても完治は極めて難しいのが現状です。
というのも、音楽家のジストニアは研究の歴史が浅く、現在の治療性は日常生活に支障をきたすようなジストニアのために開発されたものです。
しかし、音楽家のジストニアは、ほとんどの場合日常生活に支障はありません。ジストニア患者全体の中で見たら、症状はとても軽症なのです。
ところが、非常に精緻な動きを要求される楽器の演奏では、そのとても繊細な部分のコントロールこそが生命であり、それができなければ音楽生命の死を意味します。
ゆえに、外科的治療を安易に行えないのはもちろん、薬物治療による眠気や集中力低下も問題になることから治療は困難を極めるわけです。
だからこそ、予防が大切であり、休む勇気が大切なのだと坂本先生は締めくくられました。
脳科学は音楽家の強い味方
ふたつの講座を聴いて、演奏への科学的アプローチの素晴らしさに感動しました。
音楽の聴き方が人それぞれなのは経験的にはわかりますが、データとして示されると確信に変わります。
「弾けない」とひと口に言っても、どう弾けないのかによって受診する医療機関は違います。
また、演奏する人はとかく「弾けなければもっと練習する!」と頑張りますが、実際には練習よりも休養によって改善する問題が沢山あるのです。
脳科学は音楽家の強い味方だ!
「休む勇気」の大切さと、効果的な練習についての講座、古屋晋一先生の『練習は脳を育む?』へ続きます。