素晴らしい作品や演奏を生み出してくれた音楽家たちへ想いを馳せる・・・
10/21~31ゆかりの音楽家を紹介する音楽カレンダーです。
10/21は指揮者 ゲオルク・ショルティの誕生日
10/21は指揮者、ピアニストゲオルグ・ショルティ(Sir Georg Solti)の誕生日。
1912年ハンガリー・ブタペスト生まれ、12歳でリスト音楽院に入学、バルトーク、コダーイ、ドホナーニの指導を受け、卒業後コレぺティトールとして活動を開始。
24歳の時にザルツブルク音楽祭のリハーサル代役を務めた際にトスカニーニの目に留まり、助手となるも、なかなか仕事にありつけず、28歳の時に、ジュネーブ国際音楽コンクールピアノ部門で優勝、音楽家としての仕事を得るようになります。
楽器をよく鳴らしたダイナミックレンジの大きな演奏が特徴。
ワーグナーやヴェルディなどオペラの指揮者として、またハイドン、ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナー、マーラー全集などオーケストラ指揮者としても偉業を成し遂げています。
シカゴ交響楽団との共演でワーグナー歌劇『タンホイザー』序曲です。
10/22はフランツ・リストの誕生日
10/22はフランツ・リスト(Franz Liszt)の誕生日。
1811年ハンガリー生まれ。ハンガリー人としてのアイデンティティを自負していましたが、両親ともドイツ系でドイツ語を母語とし、生涯ハンガリー語を習得することはありませんでした。
21歳の時にヴァイオリンのパガニーニの演奏を聴き、いたく感動、「ピアノのパガニーニになる!」と生まれたのがパガニーニ大練習曲です。有名な「ラ・カンパネラ」はこのパガニーニ大練習曲の第3曲。私は第6番の方が「ピアノのパガニーニ」的だと思いますが、今日はハンガリー狂詩曲13番をチェルカスキーで。。。
10/23はピアニスト エル=バシャの誕生日
10/23はアラブ系レバノン人のピアニスト アブデル・ラーマン・エル=バシャ(Abdel Rahman El Bacha)の誕生日。
1958年ベイルートの芸術一家に生まれ、10歳でクラウディオ・アラウに嘱望されたことで各国からの奨学金の授与を申し入れがあり、フランス語学校に通っていたこともあってパリ音楽院に入学。マルグリット・ロンらにピアノを、ピエール・サンカンに作曲を師事。
ピアノ・室内楽・和声学・対位法のクラスを首席で卒業。
19歳の時、エリザベート王妃国際音楽コンクールピアノ部門で満場一致で優勝、合わせて聴衆賞も受賞。数年の研鑽期間を経てレパートリーを広げてから国際舞台に登場しました。
エル=バシャのフットワークの軽さは有名で、毎年のようにGWにはラ・フォル・ジュルネに登場するだけでなく、地方の小ホールでのリサイタルも多く、しかも、よくあるように決して手を抜いた演奏をしないのも素晴らしいところです。
ベートーヴェンピアノソナタ15番「田園」を。。。
10/24はピアニスト ピエール・サンカンの誕生日
10/24はピアニスト ピエール・サンカン(Pierre Sancan)の誕生日。
1916年フランス生まれ。幼少時に父親の転勤により移住したモロッコでピアノを学び、帰国後パリ国立音楽院で作曲や指揮を学んで、1943年には『イカロスの伝説』でローマ大賞を受賞しました。
1946年にサル・ガヴォでリサイタルを機にピアニストとして知られるようになります。
1956年40歳の年に、イヴ・ナット亡き後のパリ国立音楽院のポストへ入り教授となり、門下生にはジャン=フィリップ・コラールオリヴィエ・ギャルドン、ミシェル・ベロフ、ジャック・ルヴィエ、日本人では岩崎セツ子、窪田隆たちがいます。
40歳頃の演奏で香り高く粋なシューマンのパピヨンを聴きましょう。
10/25はヨハン・シュトラウス2世とジョルジュ・ビゼーと五嶋みどりの誕生日
10/25はワルツ王ヨハン・シュトラウス2世と作曲家ジョルジュ・ビゼーとヴァイオリニスト五嶋みどりの誕生日です。
10/25生まれの音楽家1/3 ヨハン・シュトラウス2世
10/25はワルツ王ヨハン・シュトラウス2世(Johann Strauss II. (Sohn)の誕生日。
1825年オーストリア生まれ。父ヨハン・シュトラウス1世、弟たちとともにオーストリア・ウイーンを中心に活躍し、ワルツだけでなく、喜歌劇「こうもり」などオペレッタ王としても人気を博しました。
彼の作品は、毎年1/1にウイーン楽友教会で開かれるニュー・イヤー・コンサートの中心プログラムになっています。
名実ともに素晴らしいのは、やはり「青き美しきドナウ」。
オーストリア第二の国歌とも言われるこの作品は、最初四声合唱として作曲され、のちに歌詞がつけられました。
歌詞をつけたのは、普段は警察官をしているアマチュア詩人ヴァイル。
1866年の普墺戦争にたった7週間でプロイセン王国との戦いに敗れてしまい意気消沈していたオーストリア帝国の人々を励ますべく陽気な内容です。(以下Wikiより引用)
~♪~
ウィーンっ子よ、陽気にやろうぜ!
おう、どうして?
見回してみろよ!
だから、どうして?
ほら、ほのかな光だ
そんなもの、見えないぜ!
ほら、謝肉祭さ!
ああ、そうだった!
ご時世なんて気にするな…
こんな、時世なんざ!
悲しんだって、どうしようもないさ
そうだな、その通りよ!
苦しんだって、悩んだって、
何の役にも立ちゃしない
だから、楽しく愉快にいこうぜ!
~♪~
歌詞を知ると、美しいだけでなく愉快になります。
10/25生まれの音楽家2/3 ジョルジュ・ビゼー
10/25はジョルジュ・ビゼー(Georges Bizet)の誕生日。
1838年パリ生まれ。父は声楽教師、母はピアニスト、9歳でパリ音楽院に入学し、ピアノ、ソルフェージュ、オルガン、フーガで一等賞を獲得。19歳の時にカンタータ『クローヴィスとクロティルデ』でローマ大賞を獲得。
オペラなど劇音楽を志し、25歳の時にオペラ『真珠採り』でオペラ作曲家の地位を確立。その後、『アルルの女』、『カルメン』などを作曲。
『カルメン』全幕をどうぞ。。。
10/25生まれの音楽家3/3 ヴァイオリニスト五嶋みどり
10/25はヴァイオリニスト五嶋みどりの誕生日。
3歳で母である五嶋節よりヴァイオリンの手ほどきを受け、6歳でパガニーニのカプリースを演奏、8歳の時に演奏のカセットテープ(そういう時代です)をジュリアード音楽院のドロシー・ディレイ教授に送り、入学オーディションに招かれ、11歳の年に母と2人渡米、ジュリアード音楽院でヴァイオリンを学びました。
その年の12月31日、ズービン・メータ指揮のニューヨーク・フィルハーモニックとパガニーニの「ヴァイオリン協奏曲第1番」第1楽章で「サプライズ・ゲスト」として協演して米国デビュー。
本番中に2度も弦が切れたにも関わらず、コンサートマスターたちのヴァイオリンと取り換えて演奏を続けた「タングルウッドの奇跡」はアメリカの教科書にも載った有名な話。。。
音楽家としての活動もさることながら、社会的意識も高く、20歳の時に「みどり教育財団」を立ち上げるなどの活動も特筆すべきことです。。。
・・・で、五嶋姉弟に思うのは、母である節さんの凄さです。
チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲をどうぞ。。。
10/26はドメニコ・スカルラッティの誕生日
10/26はイタリア出身の音楽家ドメニコ・スカルラッティ(Domenico Scarlatti)の誕生日。
1685年、バッハ、ヘンデルと同じ年にイタリア・ナポリに生まれ。
30代半ばにリスボンでマリア・マグダレーナ・バルバラ王女の音楽教師となり、1729年に王女がスペイン王家に嫁ぐにあたり、マドリードに同行して、そのまま25年ほどスペインに滞在し、5人の子どもをもうけました。
彼の子孫一族は今日でもスペインで生活しているそうです。
当時の作曲家なら当たり前だった宗教曲や管弦楽曲も書きましたが、やはりスカルラッティと言えば、王女バルバラの教育目的で描かれたチェンバロのための555曲のソナタでしょう。その独特の技巧で鍵盤楽器の歴史に金字塔を打ち立てました。
10/27はパガニーニとヴァルヒャの誕生日
10/27はヴァイオリニスト・作曲家のニコロ・パガニーニとチェンバロ・オルガン奏者ヘルムート・ヴァルヒャの誕生日。
10/27生まれの音楽家1/2 ニコロ・パガニーニ
10/27はイタリアのヴァイオリニスト・ギタリストで作曲家のニコロ・パガニーニ(Nicolò Paganini)の誕生日。
1782年ジェノヴァ生まれ。3歳でヴァイオリンを始め、13歳頃には学ぶものがなくなり、自作の曲を弾き始めたとか。
その凄い技巧に「悪魔に魂を売ったのではないか・・・」という噂が流れたり、何かと謎の多いパガニーニですが、ロマン派以降の音楽家に大きな影響を与えました。
「パガニーニの主題による・・・」という作品を描いたブラームス、ラフマニノフ。。。
リストは21歳の時にパガニーニの演奏を聴いて「ピアノのパガニーニになる!」と叫んだと伝えられます。
有名な作品『ラ・カンパネラ』はリストの『パガニーニ大練習曲集』の第3曲で、パガニーニのヴァイオリン協奏曲第2番 第3楽章が「鐘のロンド」が原曲です。
原曲はまさしくロマの音楽!血の騒ぎます!
10/27生まれの音楽家2/2 ヘルムート・ヴァルヒャ
10/27はドイツのオルガン・チェンバロ奏者ヘルムート・ヴァルヒャ(Helmut Walcha)の誕生日。
1907年ライプチヒ生まれ。
モノラル時代の録音とその後のステレオ録音とで、2種類の『バッハ・オルガン作品全集』を完成させ、バッハの鍵盤楽器曲演奏における現代最高の権威とされています。
なお凄いのは、それを盲目の中で行ったこと。
16歳の時に失明し、それ以後は母親が、結婚後には妻が作品のそれぞれの声部を弾いてもらって頭の中で組み立て、40歳頃にはバッハのすべての鍵盤楽器の作品を暗譜したと言われています。
54歳頃の演奏で、バッハ ゴルトベルク変奏曲を。
感じていた世界が違うのだな~と想う、新鮮なバッハです。
10/28はヴァイオリニスト ジョーゼフ・ギンゴールドの誕生日
10/28はヴァイオリニスト ジョーゼフ・ギンゴールド(Josef Gingold)の誕生日。
1909年ポーランド生まれ。11歳の年にアメリカ合衆国に移りヴァイオリンをウラディーミル・グラフマンに師事し、17歳でニューヨークデビュー。
その後、ブリュッセルでウジェーヌ・イザイに学びベルギー、フランス、オランダ等で演奏活動を行った後、大恐慌のさなかにアメリカに戻り、ブロードウェイ等のオーケストラでヴァイオリンを弾いて家計を支えます。
1937年、31歳の年にオーディションを受けてアルトゥーロ・トスカニーニ指揮のNBC交響楽団に入団。その後、デトロイト交響楽団、クリーヴランド管弦楽団のコンサートマスターを務め、退団後インディアナ大学ブルーミントン校で亡くなるまで教育活動を続け、ジョシュア・ベルなど数多くの著名なヴァイオリニストを育てました。
ヴィエニャフスキーのカプリチオ・ワルツを聴きましょう。
10/29はピアニスト ウィリアム・カペルの命日
10/29は31歳で夭折したアメリカ出身のピアニスト ウィリアム・カペル(William Kapel)の命日。
音楽評論家のハロルド・ショーンバーグに「第2次世界大戦終焉後世代における最も有望なアメリカ人ピアニスト」と称されましたが、1953年オーストラリアでの演奏旅行から帰国した際の飛行機事故により31歳で生涯を閉じました。
スカルラッティのソナタとショパンのノクターン16番とフォークソング「ガト」です。
10/30はリコーダー奏者フランス・ブリュッヘンの誕生日
10/30はリコーダー、フルート、フラウト・トラヴェルソ奏者、および指揮者フランス・ブリュッヘン(Frans Brüggen)の誕生日。
1934年オランダ・アムステルダム生まれ。
アムステルダム音楽院、アムステルダム大学に学び、20代よりリコーダー奏者として活動開始、レオンハルトやアンナー・ビルスマ、アーノンクール、クイケン3兄弟などと共演し、古楽分野の草分け的存在。
小学校の音楽の授業で吹く馴染のリコーダーの素晴らしい可能性を聴かせてくれるコレルリのラ・フォリアOp.5-12をどうぞ。
10/31はヴァイオリニスト フランチェスコ・マリア・ヴェラチーニの命日
10/31はイタリア後期バロックのヴァイオリニスト・作曲家フランチェスコ・マリア・ヴェラチーニ(Francesco Maria Veracini)の命日。
1768年故郷フィレンツェで78年の生涯を閉じました。神童ヴァイオリニストとして早くから活躍、22歳の年には『悪魔のトリル』で知られるタルティーニがヴェラチーニの演奏を聴き、あまりの素晴らしさに自身を恥ずかしく想い、自宅に閉じこもり練習に励んだと言う逸話が残っています。
ヴァイオリンソナタ イ長調 作品1-7をどうぞ。。。