8/11~20日ゆかりの音楽家を紹介しています。
8/11はオルガニスト ヘルムート・ヴァルヒャの命日
8/11はドイツのオルガン・チェンバロ奏者ヘルムート・ヴァルヒャ(Helmut Walcha)の命日。
1907年ドイツ・ライプチヒ生まれ。幼い頃に天然痘を患い、その後遺症で極度の弱視となったため楽譜全体を見ることができず、各声部を別々に読み取って記憶し、組み合わせて一つの楽曲にまとめ上げるという気の遠くなるような作業でオルガンに親しみ専門教育を受けるも、16歳の時に完全に失明。 それ以降は母親が、結婚後は妻が左右の手(&オルガンの場合は足鍵盤)のパートをそれぞれ別々に演奏し、それぞれを記憶に焼き付けてから一つの楽曲へとまとめ上げ、バッハの鍵盤作品は40歳頃までに異稿まで暗記したと伝わっています。 J.S.バッハ トッカータとフーガ へ長調 BWV540より。 穏やかで牧歌的な演奏にしみじみ幸せになります。
8/12は作曲家レオシュ・ヤナーチェクの命日
8/12はレオシュ・ヤナーチェク(Leoš Janáček)の命日。
チェコ出身の作曲家ヤナーチェクは1928年74年の生涯を閉じました。 チェコとひと口に言っても、ドボルジャークやスメタナの生まれたボヘミアには長調が多いのに対し、ヤナーチェクのモラヴィアは短調が多いなど何かと対照的です。 「民俗音楽と芸術音楽は一つの管で繋がっているようなものである」と考えたヤナーチェクは、モラヴィア民謡から音楽の基礎を会得したと言われます。 ピアノソナタ第1番《1905年10月1日》をアルド・チッコリーニの演奏で。。。
8/13はソプラノ歌手キャサリン・バトルの誕生日
8/13はアメリカ合衆国出身のコロラトゥーラ・ソプラノ歌手キャサリン・バトル(Kathleen Battle)の誕生日。
子供の頃から歌が上手いと言われ、シンシナティ・カレッジ音楽院に進み音楽教師になる。 個人的に研鑽を積み、シンシナティ交響楽団のオーディションを受けると、指揮者シッパーズに感銘を与えて、1972年イタリア・スポレト音楽祭に出演、1977年メトロポリタン歌劇場デビュー。 1987年ウィーンフィ・ニューイヤー・コンサートでカラヤンと共演し、ヨハン・シュトラウス2世の春の声を披露しました。
日本では1986年夏、ニッカウヰスキーのCMで「オンブラ・マイ・フ」を歌い、一躍有名になったので、記憶している人も多いことでしょう。 「オンブラ・マイ・フ」は、ヘンデルのオペラ『セルセ』より第1幕第1場の中のアリアです。
8/14は指揮者ジョルジュ・プレートルの誕生日
8/14は指揮者ジョルジュ・プレートル(Georges Prêtre)の誕生日。
1924年フランス生まれ。作曲家に憧れ、 ドゥエー音楽院でピアノを学び、1935年パリ音楽院へ進学。トランペット、和声法、指揮法を学ぶ。 1946年マルセイユ市立オペラで指揮者デビュー。1970-71年パリ・オペラ座音楽監督。 カラヤンの推挙により1962年ウィーン国立歌劇場にて『カルメン』ドイツ語版でデビュー。1986-91年ウィーン交響楽団第一客員指揮者を務め、その後終身名誉指揮者。1996-98年シュトゥットガルト放送交響楽団の首席指揮者、名誉指揮者。
ラヴェル「ボレロ」をどうぞ。
8/15はピアニスト ジュリアス・カッツェンの誕生日
8/15はアメリカ合衆国出身のピアニストジュリアス・カッツェン(Julius Katchen)の誕生日。
1926年ニュージャージー州生まれ、10歳でモーツァルト ピアノ協奏曲第20番を演奏してデビュー。 肺がんのため39歳という短い生涯でしたが、ブラームスのピアノ独奏曲とピアノ協奏曲のすべてを録音しました。 色々と素晴らしい音源がありますが、バラキレフ「イスラメイ」が気持ちよいです。
8/16は指揮者フランツ・ウェルザー=メストの誕生日
8/16はオーストリアの指揮者フランツ・ウェルザー=メスト(Franz Welser-Möst)の誕生日。
1960年オーストリア・リンツ生まれ、はじめはヴァイオリニストを目指すも、交通事故によって指揮者志望へ転向。 1979年、19歳の時にカラヤン国際指揮者コンクールで最年少セミ・ファイナリストの一人に選ばれました。 2011、2013、2023年ウィーンフィル・ニューイヤーコンサートを指揮し、高い評価と人気を得ています。 ・・・個人的にとても好きな指揮者です。
歌劇「ローエングリン」第一幕への前奏曲をどうぞ。
8/17は作曲家・声楽教師ニコラ・ポルポラの誕生日
8/17はイタリアバロック後期の作曲家・声楽教師ニコラ・ポルポラ(Nicola・Antonio・Porpora)の誕生日。
1686年ナポリ生まれ。オペラ作曲家、優れた歌手を育てた名教師として知られます。 ナポリからヴェネツィア、ドレスデン、そしてウィーンと当時の政治状況によって活動の地を転々としたポルポラは、ウィーンで若きハイドンに出会い、その才能を見抜きます。付き人のように学んだハイドンは後に「ポルポラは作曲の真の原理を教えてくれた」と語りました。 歌劇『ポルフェモ』より「Alto Giove(偉大なるジュピターよ」を聴きましょう。
8/18は作曲家アニトニオ・サリエリの誕生日
8/18はアントニオ・サリエリ(Antonio Salieri)の誕生日。
1750年イタリア生まれ、幼少時より音楽の才能を示し、16歳でウィーンの宮廷へと招かれ、33歳の年に宮廷楽長に任命され、ほぼ生涯その職にあり高い社会的地位から、ハイドンなど著名な音楽家と交流。また、優れた教育者としてベートーヴェン、シューベルト、リスト、ツェルニー、フンメル、マイアベーア、モーツァルトの息子フランツ・クサーヴァーが指導を受けました。
映画『アマデウス』では悪役として描かれていますが、実際には名実両面で成功したため、才能のある弟子や生活に困る弟子には支援を惜しまず、慈善コンサートの開催や有力諸侯に音楽家支援の手紙を書くなど、実は慈善家だったようです。 長くウィーンに暮らすも、最後までドイツ語は上手くなかったらしいサリエリのシンフォニア ニ長調 その名も「ヴェネツィア人」 を。 サリエリっていい人だったに違いないと思う音楽です。
8/19はヴィオリニスト ジョルジュ・エネスクの誕生日
8/19はヴァイオリニスト ジョルジュ・エネスク(George Enescu)の誕生日。
1881年ルーマニア生まれ。「愛の喜び」「愛の悲しみ」などのヴァイオリン曲で知られるフリッツ・クライスラーやロン・ティボーコンクールのジャック・ティボーと共に20世紀前半の三大ヴァイオリニストの一人として知られますが、実は多才で作曲家、ピアニスト、指揮者、音楽教師としても活躍しました。
ヴァイオリンの弟子には、ユーディ・メニューイン、アルテュール・グリュミオー、クリスチャン・フェラス、イヴリー・ギトリスらが、作曲の弟子には「トランペット吹きの休日」や「シンコペイテッド・クロック」で知られるルロイ・アンダーソンがいます。 エネスクのヴァイオリンソナタ第3番を、エネスク自身のヴァイオリンとディヌ・リパッティのピアノで。。。
8/20はヴァイオリニスト マキシム・ヴェンゲーロフの誕生日
8/20はヴァイオリニスト マキシム・ヴェンゲーロフ(Maxim Aleksandrovich Vengerov)の誕生日。
1974年シベリア・ノヴォシビルスク生まれ。 幼少時より神童ぶりを発揮し活躍。華麗な技巧と力強い表現で人気を博すも右肩の故障のために2008年から演奏活動を休止。指導者、指揮者としての活動に専念していましたが、2011年から再びヴァイオリンの演奏活動を再開し、2012年2月にはロンドンの王立音楽アカデミーの教授に就任しました。 この2014年のチャイコフスキーヴァイオリン協奏曲を聴くと(見ると)故障以前とはやはり奏法も音楽も違いますね。。。