子供の頃にピアノを習ったけれどバッハのインベンションで挫折したという方、結構いらっしゃいます。
”坊主憎けりゃ袈裟まで憎い”じゃないですが、インベンションが苦手でバッハのイメージまで下がってしまうのは残念です。
クラシック音楽を弾くならやっぱりバッハ必須です。これは真摯で誠実な音楽家なら万国共通(のはず)。
そもそもインベンションなど鍵盤楽器のための作品はバッハにとって教育目的で描かれたものでした。教えるための教材、つまり学校の先生が教材作るノリで描かれたものだったのです。
じゃあバッハの仕事って何だったの?
ということでインベンションに苦い思い出があるピアノ弾きのために必聴作品をご紹介!
バッハのイメージが変わること請け合いです。
カンタータ|毎週の礼拝のために描いてその数300!
バッハといえば、やはり、まずはカンタータです。
バッハの魅力はカンタータに尽きる。言葉によって精神を表しているカンタータの世界は比類ない。私の考える本当のバッハはカンタータだ
そう語ったのはカール・リヒターです。リヒターは牧師の家庭に生まれ、11歳でドレスデン聖十字架教会付属学校に入学して聖歌隊のメンバーになり、その後ライプツィヒ音楽院に入学、23歳で教会音楽の国家試験に合格して聖トーマス教会のオルガニストに就任。27歳でミュンヘン・バッハ管弦楽団を設立、30歳でミュンヘン国立音楽大学のオルガン科教授に就任・・・まさにバッハを演奏するために生まれてきたような人。バッハ演奏にうるさくひと言も二言もどころか語り始めたらエンドレスな人たちだって好みはともかくリヒターを無視はできません。
バッハはライプツィヒ聖トマス教会に勤めていた38歳から41歳の約3年間、毎週の礼拝のため教会カンタータを作曲して楽団に稽古をつけて日曜の礼拝に間に合わせていたという驚異の仕事ぶりで300を超える作品を描いたと記録に残っています(現存するのは200弱)。
ところで〈カンタータ〉とは何か?ひと言でいえば声楽曲です。カンターレ=歌うというイタリア語に由来しています。教会で歌われるから〈教会カンタータ〉、教会で歌われないものは〈世俗カンタータ〉といいます。歌うがカンターレなら、響き合うがソナーレでソナタ、ソナタはそもそも器楽曲を指す言葉でした。
では、教会カンタータから1曲聴いてみましょう。第147番「心と口と行いと生活で」。最後の曲「主よ、人の望みの喜びよ」は、きっと聴いたことがあるはず(29’35頃から)。
「主よ、人の望みの喜びよ」はマイラ・ヘスのピアノ編曲が有名です。こちらもどこかで耳にしたことがあるのではないでしょうか。ご本人の演奏でどうぞ。
他によく知られて人気なのは、第12、21、80、82、 106、140、182番・・・です。
Youtubeの検索窓に
BACH BWV〇〇(番号)
と入れて検索するとオススメが出てきますので順番に聴いてみてください。
ちなみにBWV とはBach-Werke-Verzeichnisのイニシャルです。これはヴォルフガング・シュミーダーというドイツの音楽学者が1950年に著したヨハン・ゼバスティアン・バッハの音楽作品目録(バッハ作品総目録、バッハ作品主題目録などともいう)の番号のことです。
管弦楽組曲|宮廷で演奏された器楽曲
バッハの時代も音楽は教会のためだけにあったわけではありません。宮廷文化華やかな時代、宮廷には楽団がいてその楽団が演奏するためにお抱え音楽家がいて沢山の作品が生まれました。
バッハの代表的な管弦楽作品に管弦楽組曲(全4曲)があります。中でも有名なのは第3番で、この作品の2曲目が「G線上のアリア」がとして知られています。
この時代の組曲というのは舞曲の集合体で「アルマンド、クーラント、サラバンド、ジーグ」を基本にサラバンドとジーグの間にガヴォットなどが入ったり、アルマンドの前にプレリュードとか序曲などがあったりと順番が決まっているのが常ですがこの管弦楽組曲はその慣習に従っていません・・・という話はさておき、とにかく典雅な音楽をお楽しみください。
ブランデンブルク協奏曲|バッハは暗くない
管弦楽組曲とともに主要な器楽曲がブランデンブルク協奏曲(全6曲)です。なぜこの名で呼ばれるかというとブランデンブルク=シュヴェート辺境伯クリスティアン・ルートヴィヒに献呈されたからです。
バッハに気難しく重苦しいイメージを持っている方が多いのですが、ブランデンブルク協奏曲は6曲すべてが長調(第2楽章は関係短調)でとても華やかです。献呈には就職活動を有利にしようという思惑があったと伝えられますが(バッハは子だくさんでその数20人!)こういう音楽であなたの宮廷を華やかにしますよ!素敵な音楽が流れていればあなたの評判もうなぎのぼり!とアピールしたかったのかもしれません。
フルート・ヴァイオリン・チェンバロがソロ群を務めるひときわ華やかな第5番をどうぞ。
個人的には弦楽器だけの第3番、6番が好きです。Youtube検索窓にBach BWV1048(3番)1051(6番)と入れて検索してみてください。
無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータ|アーティキュレーションの参考に
ヴァイオリン弾きの主要レパートリーに無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータ(各3曲ずつ計6曲)があります。無伴奏の言葉通り、ヴァイオリン1丁で弾きます。逃げも隠れもできない難曲なんですが、これがピアノ弾きにとって学ぶところ満載なのです。
レガートとかスタッカートとかマルカートとか・・・つまり音をつなぐのか切るのか、切るならどう切るのか・・・と言ったことをアーティキュレーションと言いますが、その基本は弦楽器のボーイングにあります。
で、この逃げも隠れもできないヴァイオリン1丁の曲は、そんなアーティキュレーションを聴くのに最適です。「インベンションの楽譜の右手だけか?」みたいな譜面面のパルティータ3番を見て聴いてみてください。
この曲集で最も有名なのはパルティータ2番の終曲「シャコンヌ」です。ブゾーニが罪なほどに絢爛豪華に編曲した作品が有名ですが、ブラームスが編曲した左手だけで演奏するバージョンもあります。
原曲は〈Bach BWV1004〉で検索してぜひ全曲を聴いてみてください。
無伴奏チェロ組曲|左手の参考に
無伴奏ヴァイオリン・・・があれば、もれなく無伴奏チェロ組曲もあります、数も同じ6曲。ただしこちらはソナタはなくすべて組曲です。
チェロの神様パヴロ・カザルスが13歳の時にバルセロナの古い楽器店で見つけたというこの曲集は長い間すっかり忘れ去られたものでした。カザルスは約12年の歳月をかけてこの曲集を研究し、また当時一般的だった奏法に疑問を持って自らの奏法を確立、こうしてこの曲集はチェロ弾きには欠かせないレパートリーになっています。
そのカザルスの演奏で第1番をどうぞ。
ピアノでバッハを弾く時に左手がなかなか難しく、「バスが~・・・」と言われ悩んだことがある人(現在進行形かも)多いと思いますが、無伴奏チェロ組曲はとても参考になります。
マタイ受難曲|これを聴かずしてバッハは語れない
さて最後はやはりマタイ受難曲です。これを聴かずしてバッハを語ることはできません
バッハがとっつきにくいのは、多くの日本人にとってキリスト教に馴染みがないというのがあります。でも、西洋文化を語るにも西洋音楽を弾くにも(聴くにも)キリスト教は無視できないのが現実です。
マタイ受難曲というのは、新約聖書マタイによる福音書第26-27章のキリストの受難をテーマにした作品です。キリストの受難というのは、弟子のひとりユダに裏切られて裁判にかけられ(無実の罪で)有罪になり十字架を背負ってゴルゴダの丘へ歩きそして磔刑され息を引き取り墓に埋葬される・・・です。キリスト教信仰の本質はキリストの復活を信じることが前提なのでキリストの受難は絶対にはずせないのです。
ちなみに卵に絵を描いて遊び卵料理を食べて、近年うさぎも飛び跳ねるようになったイースター祭は、キリストが3日目に復活したことを祝うキリスト教の行事です。クリスチャンにとってはある意味クリスマスより重要な行事です。
何も知らずにクリボッチがどうのとか、イースターは卵で遊ばなくちゃとかはしゃいでいる日本人の何と多いのは、チコちゃんに叱られるレベルです(既に叱られた?)。。。
まずカール・リヒター指揮の日本語対訳付き。
対訳が邪魔な方にはアーノンクール指揮で。
はじめて聴く方は出だしでびっくりするかもしれません。よく言えば荘厳ですが、ともかく気楽に聴ける音楽ではないしBGMには向かない種類の音楽です。
難しいことは置いておいて、もちろんキリスト信仰などなくて全く問題ないですし、聖書を知らなくてもいいですが(知っていればなおわかりやすいですけれど)、つまりヨハン・セバスチャン・バッハという人はこういう壮大な音楽を描いたとてつもない人だってことなんです。しかもこれ1曲に半生を費やしたって不思議じゃなさそうなのに他に膨大な作品があるんです。
そういう人が、後進の指導、息子たちも音楽家にするべく(当時音楽家は世襲の職業だった)教材として描いたのがインベンション・シンフォニアであり、平均律クラヴィーア曲集だってことがわかると、それなりの心構えで学ばなければとても弾けそうにないことが想像できると思います。
そして、モーツァルトもベートーヴェンもメンデルスゾーンもショパンもシューマンも・・・バッハの作品を研究し平均律クラヴィーア曲集を弾いたんですよね。ついでにショパンとシューマンはバッハを弾くことを強く勧めています。
クラシック音楽を弾くというのは”聴いていてうっとりする”印象とは違い、かなり大変なんです。
”バッハのインベンションで挫折した人に聴いて欲しいバッハ”というタイトルですが、ひょっとしたらバッハのイメージがよくなったというより、やっぱりアタシには無理!と再確認されたかもしれないという気もします。
しかし、簡単でないものを簡単だというのは詐欺っぽいじゃないですか!
簡単ではないけれどやり方はあることを示し、導くのが教育=レッスンのはず。
”千里の道も一歩より”です。一歩ずつ根気よく勉強・練習していけば必ず上達するし、憧れの曲にも手が届くようになります。