かつて、SNSにアップした演奏に、
よくこれで恥ずかしくなくアップできるよな・・・
みたいなコメント付きで引用リツイートされたので、徒然草百五十段を付けて引用リツイートしたら、即効で削除したよ~という話の続きです。
有名な徒然草百五十段の一節↓
・・・まだ未熟でヘタクソな頃から、上手くてベテランな人たちに混ざって、バカにされて笑われて、それでも恥ずかしがらずに頑張っていれば、特別な才能がなくても上達できる。道を踏み外したり、我流に固執することもないだろう・・・
(https://grapee.jp/112261より引用)
この
・・・バカにされて笑われて、・・・
(原文は”そしり笑はるゝ”)
が激しく引っかかりまして、
下手を笑ってバカにするってどうよ!?
って思うのは私だけ?
そもそも、
1. 上手とか下手とか軽々しくジャッジできるのか?
2. 仮に下手だとして、それを”バカにして笑う”ってどうよ?
上手・下手って、つまり、「上・下」ですが、何を持っての上下なのでしょう?
自分より上か下か
というのがあるように感じます。
そして、
自分より下(下手)なら、見下して
自分より上(上手)なら、媚びへつらう
みたいなメンタリティが見え隠れするのを感じるのは私だけでしょうか?
こういう卑屈さ、屈折した潜在意識が、自分が演奏する際に”恥ずかしい”につながり、拍車をかけるのではないかと思います(これだけじゃないですけれど・・・)
クラシック音楽は作曲家が描いた作品を弾く人と聴く人が共有することで成り立ちます。演奏するというのはその作品の世界がどういうものなのか実現し伝えること。
それは経験が浅ければ未熟なのはやむを得ないです。
しかし、未熟だからと言って下手とジャッジしていいのでしょうか?
もしも、未熟が下手とジャッジされ、笑われるなら、笑われないのはごく一部の巨匠だけになってしまうでしょう。
しかし、その巨匠たちは(期待に反して)ミスを気にしなかったりします。
音楽を聴くのは間違い探しではありませ〜ん‼︎
人の演奏を軽々しくジャッジし、ミスをあげつらうから、自分が演奏する時に同じようにジャッジされミスを笑われることが怖くなる・・・
人前で演奏する際の不要なプレッシャーをなくすためにも、
人の演奏を軽々しくジャッジしない
そして、
もしもミスや事故があっても、減点法で聴かない
です。
ピアノを弾くこと、
練習することは、
正解のない問いを考え続ける
ゴールのない旅のようなもの・・・
目指すところを感じてもらえるように弾きましょう(←自分)。。。
・・・ということで、ネガティブコメントなんて取るに足りないのでスルーしましょうね~♪
・・・下手を笑うってどうよ?!とは言いましたが、ぐちゃぐちゃでいいとはひとことも言っていません。クラシック音楽にはたくさんの(暗黙の)ルールがあるし、ピアノを弾く技術も習わないとわからないことが沢山ありますよ。そこは勘違いしないようにしましょう。。。