【続・演奏のメンタリティ】ミスはそんなに残念でアカンことでしょうか

人前で演奏するのが恥ずかしい

には、

間違えたらどうしよう・・・
ミスしたら恥ずかしい・・・

というの、あると思います。。。

先日のショパンコンクールでも、ミスをあげつらうSNSの投稿をしばしば見かけて、

う~ん・・・

絡んでも仕方ないのでスルーしましたが、嫌なものです。。。

音楽ってミスによって台無しになるものではないと思うのですが、私が思うだけではなく、もっと説得力のある話をご紹介します。

Twitterで見つけた大好きな話です↓↓↓

一連のツィートをまとめると↓↓↓

とある実話。
ピアティゴルスキーというチェリストがまだ新人だった頃、演奏会で聴衆の中に、巨匠カザルスの姿をみつけ、すっかり緊張してあがってしまった。やっとのことで演奏を終えた時、客席からカザルスが盛んに拍手を送っていてびっくりさせられた。

後年、ピアティゴルスキーも立派なチェリストになったある日、カザルスに出会って食事をしていた際、「なぜ自分の新人時代、聴衆になって下さって、明らかに下手と思われる自分の演奏に対して、なぜあんなに盛大な拍手を送って下さったのですか?」と彼はその訳を尋ねた。

するとカザルスはそれに答えて、手許にチェロを持って来て「あなたはあの時、左手でチェロをこうかかえて、右手の弓をこう使って、この曲のあの一節をこう弾いたね。その中の一つの音は、私が長い間捜し求めていた音で、私はとても感動したよ」彼はそう答えた。

「あとは」カザルスは吐き捨てるように言った。「ミスばかりあげつらってもののわかっていない連中には言わせておけばいい。たった一つの言葉、たった一つのフレーズに私は感謝することができる。君もそうしなさい」ピアティゴルスキーはカザルスの真の偉大さをこの時に知った。

音楽は作品と弾く人と聴く人がいてこそ!

こんな風に演奏を聴く人ばかりの演奏会はどんなに素敵な時間でしょう。。。

カザルスは、当時忘れ去られていたJ.S.バッハの無伴奏チェロ組曲を発見して復活させ、今日のようにチェロ弾きに欠かせないレパートリーにし、そもそも近代チェロ奏法を確立した

チェロの神様

です。

“神様”に従い、間違い探しや減点法で聴くのはやめましょう。

そんな聴き方をすれば、自分が弾く時に怖くなるし、恥ずかしくなります。

演奏する時にも、
ミスとか、
暗譜が飛ぶとか
心配ばかりしていると
ろくな事にはなりません。

もっと、

音楽そのもの

つまり、

何を表現するのか

に全力を尽くしましょう。

そうすれば、緊張のあまり身体が硬くなったり指が震えたりして演奏がほころんでも、目指すところは伝わるものです。

素晴らしい演奏についての形容として

音楽や作品への献身

というのがあります。全身全霊でその作品が持っている世界を表現する様についての言葉ですが、演奏のメンタリティってこれだと思います。

・・・とは言え、決してミスしていいと言っているわけではありません。練習はあらゆるリスクを想定して準備しますが、それは、本番でリスクを恐れず思い切って表現するため。

どう練習するかは、決定的な問題です。

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