まさかあり得ないだろうということが起こるのがコンクールと覚悟はしていたものの、ファイナリストの中にPiotr Alexewiczがいないという最もあり得ないことが起こり、私のショパンコンクールはセミファイナルで終わった感で迎えたショパンの命日は、心象風景そのままに冷たい雨の日曜日・・・
”それまで誰も聴いたことのないショパン”|ショパンコンクールのレジェンドたち
その夜、タイムリーに放送されたNHKクラシック音楽館「ショパンコンクール のレジェンドたち」はとても興味深いものでした。
歴代の優勝者たちを見るとこれまでも優勝者はみんな個性的を超えてぶっ飛んでいるなとあらためて思いました。ダン・タイ・ソンなんか完全に逝っちゃっています。
”正統派のショパン”というと、私は何となくブレハッチのようなイメージを思い浮かべます(そういう人は少なくないと思います)。実際、彼が2005年のショパンコンクールに登場した時には
ショパンの再来・・・
と言われました。そこまで強烈に印象を与える彼もまたぶっ飛んでいると言えるもかもしれません。シューマンがショパンを称したようにまさに”花に隠された大砲”ですね。
番組の中で、歴代の優勝者のコンクールでの演奏は、”それまで誰も聴いたことがないショパン”だったと言っていましたが、だとしたら今回のMARTÍN GARCÍA GARCÍAさんもそうだと思います。けれど、ポゴレリッチはこのコンクールに向かないと落とされ、ガルシアがファイナルまで残ったのはなぜでしょう?ポゴレリッチには危険な香りがするけれどガルシアは友好的で害がない感じがするからなのかと思ったりします。
愛されるって得、人徳ですね。。。
”あの人”の協奏曲を聴きたかった・・・
ロス感に沈没したまま迎えた週明け、そして、ファイナル・・・
それでも、10年前とは違って誰が優勝しても祝福できるくらいに大人になった自分を褒めてあげたいと思いながら、やはり、この場で協奏曲を聴きたかったコンテスタントが他にいるのは偽らざる本心でした。ふとした瞬間に”あ~ここであの人が弾いていたらどんな演奏だっただろう?”と想うことしばしば・・・
好きってそんなもの。
誰がどんなに素晴らしい演奏をしても私は彼らを忘れない・・・
忘れられるわけがない・・・
ガルシア変身?!
しかしですね~、人生何が起きるかわかりません。世界はホントに不思議に満ちています。
2日目に登場したガルシアは、まるで”遠山の金さん”が紋付き袴で”江戸町奉行遠山左衛門尉”としてご出座したかのごとくでした(古いのでわからない方多数でしょうが)。
なんだ?このあらたまった別人ぶりは!?
顔芸も身体の揺れも鼻歌も健在なのが、”桜吹雪がちらちら”するかのごとくにあのガルシアさんであることを伺わせるものの、この人?変身したのか!?
あまりに素晴らしい2番のコンチェルトにロス×4+α(牛田、フェロ、アレクセイヴィチ、ホジャイノフetc)は癒され、すべてがこの瞬間のためにあり、最後のピースがはまったかのようでした。。。
あ~、これで私のショパンコンクール2021は幸せに完結できる。。。
人生はいかなる時も投げてはいけないという教訓までもらって。。。
ガルシアの変身ぶりはまるで、
みんなに愛される
愛嬌たっぷりの
あひるの子は、
実は白鳥の王子様だった!
みたいです。
これが、もしもファイナルに合わせて計算されたものなら恐ろしいですが、たぶん違いますよね。
コンクールでは、ステージが進むにつれて成長するというのは”あるある”ですが、ガルシアさんの場合、成長というより、変身です。
これは奇跡ですね!
・・・ロスはロスとしてありますが、それはそれ。
ガルシアさんは、最後まで私たちを心底幸せにしてくれました。。。
・・・ファイナルはもう一日ありますが、結果に影響されたくないのでここでひとまずアップします(ガルシアさんの演奏リンクを追記しました)。