日本国内のピアノメーカーと言えば、YAMAHAとKAWAIが双璧ですが・・・
何かと派手でシェアも大きくメジャーなYAMAHAに比べて、真面目ながら地味で常に二番手の印象がぬぐえないKAWAIが、昨年の第1回に続き第2回SHIGERUKAWAI国際ピアノコンクールを開催しました。
多くのコンクールではファイナルの課題はピアノ協奏曲でオーケストラと共演します。
このコンクールではピアノ協奏曲をピアノ伴奏で演奏するというピアノメーカーならでは新鮮な企画で、オーケストラパートを弾くのがネルセシアンとピサレフとのこと!
おぉ!これは聴かなければ!
このおふたり、毎年8月に表参道のKAWAIで開催されているロシアンピアノスクールの講師を務めているモスクワ音楽院の教授たち。
公開レッスンって、時に「公開処刑」のように残酷なレッスンになることがあります。私も聴いているのが申し訳ないと思わずうつむいてしまいたくなるような場に居合わせたことがあります。
ネルセシヤンとピサレフのレッスンも時にかな~りシビアなので、このコンチェルトがどんな演奏になるのか、半ば怖いもの見たさの心境でした。
実際には、そのような想像は全くの杞憂。
コンテスタントたちの熱演へのリスペクトあふれる素晴らしい共演に大満足でした。
色々と感じることが多かったので書き留めておきます。
第2回SHIGERUKAWAI国際ピアノコンクールファイナルプログラム
第2回SHIGERUKAWAI国際ピアノコンクールには、世界17の国と地域から239名(国内:135名、海外:104名)のエントリーがあり、4月の予備審査を経て54人が一次予選に臨みました(公式HPより)。
2次予選・セミファイナルを経て6人がファイナルへ進出。
以下は当日のプログラムです。
(カッコ内は共演ピアニスト)
~♪~
- スコット・マシザック(カナダ)
ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番(ピサレフ) - ナイール・マヴリュードフ(ロシア)
プロコフィエフ ピアノ協奏曲第3番(ネルセシヤン)
<休憩>
- 青島周平(日本)
ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番(ピサレフ) - 伊舟城歩生(日本)
ラヴェル ピアノ協奏曲(ネルセシヤン)
<休憩>
- アンドレイ・シチコ(ベラルーシ)
ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番(ピサレフ) - ヤオ・ジャリン(中国)
チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番(ネルセシヤン)
~♪~
ご覧の通り、ラフマニノフ3人をピサレフが、プロコフィエフとラヴェルとチャイコフスキーをネルセシヤンが弾きました。
何年か前に、ロシアンピアノスクールを聴講した時に、ネルセシヤンが「私のレッスンにラフマニノフの2番のソナタを持ってこないでください。言いたいことがありすぎるので・・・」と笑いを誘ったことを思い出しました。
ピアノがここまで”ひとりオーケストラ”とは驚きでした
ファイナリストたちの演奏が素晴らしかったのはもちろんですが、ピサレフとネルセシヤンの素晴らしさに驚嘆しました。
ピアノはオーケストラをひとりで実現できる楽器、ベートーヴェンは初期のピアノソナタを交響曲の習作的に描いたりとピアノはオーケストラ抜きでは語れない楽器です。
そうは言っても現実にはなかなか難しいものですが・・・
さすが!ピサレフとネルセシヤンは見事に”オーケストラ”でした。
特に私が驚いたのは、ネルセシヤンのプロコフィエフ3番です。
冒頭、まさしくクラリネット、ピアノではなくクラリネット、「嘘でしょう!」と言いたいくらいにクラリネットで、度肝を抜かれました。
オケの豊かな響きに包まれてピアノソロが鳴るようなところなんか、オーケストラ・テュッティの豊かな響きそのまま!
ネルセシヤンも凄いなら、ピアノという楽器も凄いです。
ピアノの魅力、再発見です!
ピアノは肩を上げて力んだらダメ
コンクールというのは、聴くのは楽しいですが、演奏する方は大変です。
誰だっていい結果が欲しいし、比べられたくありません。
しかし、聴いてもらわなければ演奏活動はできません。
ストレスにプレッシャーにリスクに・・・
もろもろ乗り越えてステージに立つコンテスタントたちに心からの敬意を表した上で、率直なところとして書きますが・・・
ピアノに限らず、一生懸命になると肩に力が入ります。
ピアノの場合、肩に力が入り、上半身がカチカチになり、重心が上がってしまうということは、スポーツ選手のフォームが乱れる的に致命的だと改めて感じました。
スポーツ選手のフォームの大切さは、「フォームを改良して記録が伸びるようになった・・・」などとスポーツ番組で聞く通りですが、演奏もまた同じです。
ピサレフとネルセシヤンは凄い響きを楽器から引き出す時にも、足腰にぐっと力が入る様子は見受けられるものの、上半身はいつも伸びやか、背中はまるでバレエダンサーのようでした。
そういえば、ネルセシヤンは数年前のロシアンピアノスクールで「ピアノを弾く時の身体の使い方は、スポーツよりもむしろバレエに似ている」と語っていました。
身体の小さいアジア人(日本人も)は、どうしても頑張っちゃうんですよね。
国内のコンクールなら、「頑張り大会」で結果が出るのかもしれませんが、身体が大きくしかも使い方に熟達している彼らと並んで弾くとどうしても残念な感じになります。
持っている音楽以前の問題だけに惜しまれました。
SHIGERU KAWAIについて
前日にファツィオリを試弾する機会に恵まれ、ピアノのことを色々と考えていたので、演奏を聴きながらSHIGERUKAWAIについても想うところが多かったです。
ピサレフ・ネルセシヤンと6人のコンテスタントの共演を聴いた印象としてまず思うのは、SHIGERU KAWAIは弾き手の力量がはっきりくっきり表れる楽器だということ。
コンクールのように並べて聴く場合にはちょっと残酷かもしれません。
YAMAHAは、誰が弾いてもそれなりの響きがします。コンクールのようにプレッシャーの大きい場では安心感となり、2015年ショパンコンクールでの躍進に繋がったのでしょう。
しかし、裏返すと本当に実力と自信と野心がある人は選ばない楽器とも言えます(だからファイナリストの中にはスタインウェイに乗り換えた人が出ましたよね)。
KAWAIは、良くも悪くも弾き手に正直に応えます。
それだけに優勝したアンドレイ・シチコの響きは素晴らしく、優勝&聴衆賞は納得の結果でした(私も彼に投票しました)。
・・・ですが、スタインウェイ・ベーゼンドルファー・ベヒシュタインの三大ピアノとファツィオリなどと同列に並べるのは無理がある、と感じるのは私だけではないでしょう。
その違いは《香り》とも言うべき《何か》だと私は想います。
紅茶が単に赤い色付き水ではなく《紅茶》であるのは色・味、そして《香り》であるように、ピアノも単に美しい音色であるだけでなく、言葉にできないけれど広がる《香り》こそが弾き手と聴き手を魅了します。
メカニックだけならSHIGERU KAWAIはかなり優秀なのではないでしょうか。
勤勉で真面目な日本人ならではですが、それゆえ《遊び》がないんですよね。
そもそもクラシック音楽は教会から始まり、労働から解放されていた王侯貴族たちを満足させて発展してきました。ピアノという楽器はロマン派のサロン華やかなりし時代に発展し、格調や気品といった貴族趣味に育まれてきた背景があります。
そうやって生まれてきた《香り》とも言うべき《何か》が日本のピアノには感じられません。
昭和が終わって久しく、平成も終わろうとしているのにいまだにねじり鉢巻きでギリギリ頑張り、旧態然とした体育会系のノリでいい楽器を創ろうとしているように感じますが、本当に一流アーティストに選ばれるピアノを創りたいなら、「成功したから満足するのではない。満足していたから、成功したのである」(アラン『幸福論』より)的な姿勢が必要ではないでしょうか。
休憩時間には、ちゃんとリーフティを淹れてダージリンのファーストフラッシュとセカンドフラッシュの違いを味わうとか、静岡はお茶処なのですから緑茶を丁寧に淹れて季節のお菓子など味わうというような時間を大切にすれば、生まれるピアノも違ってくるのではないかと思います。
だって、音楽を聴く時間はお茶を楽しむ時間と同じ種類のものなのですから。。。
そもそも日本人は世界でも例のない美しい四季の変化に育まれた細やかな感性を持つ民族。
KAWAIさん、期待しています。
データ|第2回SHIGERU KAWAI国際ピアノコンクール
第2回SHIGERU KAWAI国際ピアノコンクール・ファイナル結果
第1位 : アンドレイ シチコ (ベラルーシ)
第2位 : ナイール マヴリュードフ (ロシア)
第3位 : 伊舟城 歩生 (日本)
第4位 : ヤオ ジャリン (中国)
第5位 : スコット マシザック (カナダ)
第6位 : 青島 周平 (日本)
聴衆賞 :アンドレイ シチコ (ベラルーシ)
グランビート DP-CMX1 賞 : アンドレイ シチコ (ベラルーシ)
ソナタ賞 : スコット マシザック (カナダ)
リトルピアニスト賞 : アンドレイ シチコ (ベラルーシ)
全音賞 :青島 周平 (日本)、ヤオ ジャリン (中国)
【日時】2018年8月11日 13時開演
【場所】東京文化会館小ホール