第37回横浜市招待国際ピアノ演奏会が、横浜みなとみらいホールで開催されました。
若いピアニストが出演する演奏会もさることながら、関連イベントとして開催される特別レクチャーがとても興味深いものです。
♪今年のプログラム
- 1時間目 10:30 – 11:30 安井耕一先生
ピアニストの発声練習~美しい楽音へピアニストが当面するタッチの諸問題について - 2時間目 11:45 – 12:45 古屋晋一先生
表現の未来を生み出す練習
驚くほど盛り沢山で濃い内容だったレクチャーを、備忘録をかねてレポします。
ピアニストの発声練習~美しい楽音へピアニストが当面するタッチの諸問題について|安井耕一
美女は七難隠すと言いますが・・・
美しい音もまたそれだけで聴く人を幸せにします。
安井耕一先生のレクチャーは『ピアニストの発声練習』は、美しい音とは何か?美しい音を生み出す方法とは?についてでした。
ベルカント、すなわち美しい声とは?
ところで、美しい音とは何でしょう。
日頃、私たちは、ベートーヴェンの音が素晴らしい、ショパンの音が美しい、シューマンの云々などと語ります。そのような「美しい音」は作品の解釈の一部という文脈で使われます。
安井先生のレクチャーは、その前段階である
西洋音楽における美しい音ということ。
についてでした。
ホロヴィッツは、ある時その超人的テクニックの秘密を尋ねられ、子供っぽい笑みを浮かべてひと言、
ベルカント!
と答えたそうです。
ベルカントとは、イタリア語で「美しい声」ですが、安井先生によれば、「身体感覚としてよく響く声」。
だから、歌手は音楽を演奏する前に発声練習をします。
ピアノは、音を作るという点で実はとても特殊な楽器です。例えば、ヴァイオリンやフルートは楽音になるまで大変です。
しかし、ピアノは指を鍵盤に置けば、とりあえず音が鳴ります。そして、オーケストラをひとりでできる楽器です。だから、音楽を理解するのに適しているわけですが、それだけに美しい音とは何か、難しい問題をはらんでいます。
ピアニストの発声練習
歌手が歌う前に発声練習をするように、ピアニストも発声練習をしましょう!ということで、その方法ですが・・・
まず息を吐いて身体をリラックス。
息を吐く、とにかく吐く・・・
声楽家の中には、息を吸うと身体に力が入るから吸うなという人もいるとか。
息を吐けばリラックスするし、吐いて空っぽになれば自然に入る。だから、息を吸うことを考えなくてもよいと。。。
練習は音楽的でなければならない
ピヒトアクセンフェルトは著書『練習について』でこう語っています。
練習は音楽的に完全なところから始めるように。
これは、つまり、歌ならば「いい発声を作ったところから歌い始めるように」ということであり、作品の音はひとつひとつみんな違うのだからそのように演奏しなければならないということです。それは、あたかも樹々の葉が1枚1枚違うようなものとの例えに深くうなずきました。。
そのためには、音楽的機能と発声をシンクロさせることです。
すなわち、息と支え。
ピアノの前に座って
あくびをして笑うとリラックスする、
そして、
空中で重力を制した中にフワッと浮遊したところで音が鳴る。
フワッと浮遊したところで鳴るから、フワっとした響きになるわけです。
ピアニストの発声練習、その方法
ピアニストの発声練習とはどういう練習なのか、当日の内容を紹介すると・・・
- 息を吐き出し、リラックス、骨がないかのように柔らかい身体を感じる。
- 鍵盤に対して真下に弾かない。斜面に水を流し、そして返ってくるように。
- 人間の身体は全て円運動。筋肉の中の息の流れを意識。
- ボールを落とせば跳ね返る、元の高さに足りないところを筋力で補う。
タン、フワッ、タン・・・というイメージが大切。
音がない言葉だけの説明ではわからないと思いますが、要するに、エネルギーの流れをコントロールするということが本質にあると感じました。
その雰囲気が伝わるよう、安井先生のお言葉をそのままご紹介します。
「しっかり弾きなさい!」と教わるけれど、ピアノの音は機関銃ではないので、赤ちゃんの手のようにホワット柔らかい手で背中から自然に鍵盤に触れるように。
アフタータッチのポイントをいつも身体に持っていなければならない。鍵盤の底に指が着く前に音は鳴っている。
マティは、ピアニストが鍵盤を真下に押し付けたり叩いたりすることは全ての間違いの始まりと言っている。
上手い人は近くで聴くと音が小さいが遠くで離れて聴くと広がる。
小さい音は耳を開いて(澄まして)聴くが、大きな音は耳を閉じてしまう。
チェリビダッケは、「音楽は音の体験。身体を音楽の工場にしなければならない」と語った。
いい音を出そうなんて思わない。身体の中から何かが流れ出てくる。
クレッシェンドは、簡単。でもディミヌエンドは知性が必要。
背中から指への意識があると、指先に目が出来る。
タッチは斜面を利用して角度と加速度を変化させる。
アフタータッチを把握できた時、それまで「確か」だと思っていた手応え全てが消えてなくなる。
たった1時間とは思えない本質的で深いレクチャーに大感激でした。
個人的には・・・
6月にヴァディム・ホロデンコの公開レッスンを聴講した時に私が感じ、こういう練習が必要だと考え、今実際に毎日やっていて、レッスンしていることは間違っていないと確信することができ、収穫でした。
安井先生、ありがとうございました。
表現の未来を生み出す練習|古屋晋一先生
クラシック音楽の演奏は、過去の音を継承するとともに、自分だけの新しい音を生み出すという両面があります。
・・・で世界的に演奏はどんどんよくなっているのに、日本は追いついていない。
何とかしなければ!
ということで、古屋晋一先生のレクチャーは、
演奏表現を進化させる(特に日本の)
ために、役立つ科学的なお話でした。
演奏におけるWHATとHOW
WHAT(何)とHOW(どのように)は、色んな文脈で語られますが・・・
演奏におけるWHATとHOWとは
- WHAT:解釈・感性
- HOW:機能・技能
です。
理想の演奏をイメージすることができても、現実に演奏するのが難しいという「矛盾」は、身体がイメージを拘束しているから。
HOWとは、表現を生み出す手段ですが、それはつまり3つのことを意味しています。
- レンジが広い:ダイナミックレンジetc
- 細分化できる:
- 種類が豊富:音色の種類が豊富、ルバートなど表現が豊かetc
想像と創造に必要な身体の問題は、
- 機能(手が大きい・小さい、耳がよいなど)
- 技能(タッチの速度や角度など)
に分けて考えることが重要です。
生体の3つの機能
機能の問題として知っておきたいのは、「生体の3つの機能」ということです。すなわち、
- 感覚:筋感覚、触覚、聴覚、視覚
- 感覚運動統合:わかるとできるは違う(仕組みがわかると翻訳できるex.ピアノのメカニズム
- 運動:速度、正確性、独立性、力、硬さ調節
感覚の中でも、注目したいのは「筋感覚」です。
身体の状態を細かく感じられるということは、制御も学習も促進されます。
ところが、音(耳)に比べて筋感覚は意識が向かないことが多いのです。なぜなら、音が魅力的なので耳に意識が引っ張られて筋感覚が薄くなりやすいから。
レッスンでは、「よく聴きなさい!」と言われることが多いですが、「よく感じて!」=筋感覚への意識を促すことも重要だということがわかります。
機能は、訓練によって高まり、しかも感覚訓練は、毎日少しずつでもこつこつやることで上達するとの事。花開くためには地道な積み重ねが欠かせないのですね~。
クセは頭を使わない反復練習で生まれる
演奏技能支援の問題、というのは、つまりいかにレッスンするかということですが・・・
大切なことは、いつ、どの筋・関節をどの程度使う/使わないということ。
筋・関節が適切に使われていないのがいわゆるクセですが・・・
クセは頭を使わない反復練習で生まれる。
と断言されました。
最適なコーディネーションを知らずに反復練習しても、最高のパフォーマンスに到達できません。最高のパフォーマンスに到達することなく蓄積されるのがやがてクセになるということです。
頭を使おう!
技能の洗練させる、あるいは、クセから最適コーディネートへ改善するために重要なのが、実は「弾いていない指の状態」。
鍵盤に触れていないから関係ないようですが、実は、音を出していない指の状態が音に影響している研究結果があるそうです。
以前、医学的・人間工学・運動工学的に最も素晴らしい奏法をしているのは、アルトゥール・ルビンシュタインとおっしゃっていたことがありますが、この日も登場しました。
和音を弾いた後、腕を上げた時に手の平が内側を向いているのは適切に上腕二頭筋などが適切に使われている証拠だそうです。
膝の向きが大事!
ピアノを弾く時の座る姿勢の話も出ました。
理想は、横から見た時に
耳・肩・股関節が一直線上にあること。
注意したいのは、左足の位置。
すなわち、ソフトペダルを使わない時の左足の位置が実は大事だと言う話で出たのが、チェロの話でした。
あのロストロポーヴィチは、こう言ったそうです。
よいチェリストかどうかは膝の向きを見ればわかる。
ピアニストも、本当に凄い人は脚がバランスをとるがごとくに動いているのがわかります。
つまり・・・
脚が自由に動けるようになっていないといけないわけです。
そのためには、足裏・膝・座骨が大事だという話を、こちらに書いています⇒
暗譜の極意
クララ・シューマンのおかげで、ピアノ弾きは暗譜という呪縛から逃れることができなくなってしまいました。
リヒテルのような巨匠は楽譜を置いても巨匠ですが、ふつーはそうはいきません。若いピアニストたちは試験やコンクールでも暗譜の悩みは尽きません。実際に暗譜が飛んで止まったり、ワープしたりする例には遭遇します。
暗譜の極意は欲張ってはダメ!ジタバタしてはダメ!
暗譜の固定化に有効なのはこの4つです。
- 時間:練習を始めてから暗譜までの時間が短いと不安
- 睡眠:寝ている間に記憶は定着する。
- 運動(有酸素運動):脳の働きがよくなるので固定化に有効
- 報酬(罰は逆効果):暗譜が飛んで叱られると余計に暗譜が怪しくなる
要するに・・・
- 短時間でがむしゃらに頑張ってもダメ
- 睡眠時間を削るのはもってのほか!
- 楽譜ににらめっこでピアノばかり弾いていてはダメ!
- 覚えないと叱られるというプレッシャーもダメ!
ということで、がむしゃらに頑張るほど暗譜の固定化が難しいことがわかります。
記憶は干渉する
もうひとつ、興味深いのが「記憶の干渉」ということです。
記憶の干渉とは、
あるものを覚えた直後に別の新しいものを覚えるとまえのものが忘れられてしまう
というものです。
記憶の干渉を避けるには、
- 休憩をはさめばいいので、こまめに休憩すること。
- 曲を細分化し、沢山を一度に覚えようとしない。
- 起きたままでも目を閉じて安静するのがいい。
- 休憩中は読書もイメージトレーニングもしない。
ということで、ゆったりと落ち着いた精神状態で気長にやるのが有効ということがわかります。
呼び出しと再強化
呼び出しとは、覚えたものを必要に応じて引き出すことで、つまり、暗譜演奏そのもの。
驚愕の事実ですが、一旦定着したものを呼び出すと不安定になるとの事で、つまり、
本番前に楽譜を見るな!
しっかり準備したら、ジタバタするな!ということなのですね。
記憶の強化に有効なのは、
- 本番と同じピアノ、環境で練習する。
- 照明・背景を同じにする。
- 本番と同じ心理状態で練習する(感情、緊張感)
練習と本番の環境があまりに違うと、それが気になって暗譜が飛びやすくなるわけです。
・・・で、実際問題、本番と同じピアノ・環境・照明・背景は難しいですから、できることは「本番と同じ心理状態で練習する」ということになります。
結局、どんな準備をするかなのですね。
古屋先生が目指していらっしゃるのは、「努力の先へ行くためのテクノロジー」。
才能の限界の先へ!
日本人の演奏表現はもっと良くなる!
ということで、とても有益な情報を沢山いただきました。
本当にありがとうございます。