ラ・フォル・ジュルネの何が美味しいって有料公演のチケット1枚あれば聴けるイベントがたくさんあること。
中でも毎年楽しみにしてきるのが、参加アーティストたちによるマスタークラスです。
5/3第1日目にジャン=クロード・ペヌティエ のマスタークラスを聴講しました。
演奏家で教師で牧師なジャン=クロード・ペヌティエ
ジャン=クロード・ペヌティエ(Jean-Claude Pennetier)は演奏家としてだけでなく、教師、作曲家、指揮者、またロシア正教の牧師でもあります。
1942年フランス生まれなので、現在76歳!
パリ国立音楽院卒業、フォーレ・コンクール優勝、ロン=ティボー国際コンクール第2位受賞後、世界各地でソロ、室内楽、協奏曲の演奏活動を開始、現在まで高い評価を得ています。
私が初めてペヌティエを聴いたのは2015年のラ・フォル・ジュルネでのリスト《十字架の道》とそれに関連したトークイベントでした。
演奏もさることながら、牧師としてのキリスト教の話がとても印象に残っていて、それ以来、ひそかに大ファンです。
ペヌティエのレッスン
受講生は桐朋学園大学2年生のチャーミングなお嬢さん。
以下、ペヌティエの言葉をそのまま紹介します。
ショパン 即興曲 No.1
とても丁寧に弾いていて素晴らしい。作品とちゃんと向き合いよく勉強していていい演奏だったと思います。
響きを意識することでさらに高次の表現を獲得できるでしょう。
リストがこんなことを言っています。
練習しなければならない、学ばなければならない、さらに学ばなければならない。そして、3度目の学びは学びの痕跡を消し去るための学びをしなけれはならない。
あなたはその段階へ進んでください。つまり、ひとつひとつの音をタッチの痕跡を消すように、うんとレガートで、しなやかに柔らかく、手首は高めで。
4拍目に向かってオープンになっていくように。
やるべきことはそんなに大変ではありません。とてもいい演奏だったので、あとは少しだけ様式感の意味でさらに上を目指さなければなりません。
しっかり弾くというよりは、発音を柔らかく、表現だけがリボンのように聴こえるように。まだ、はっきり弾きすぎです。うんとレガート、レジェロに。
ショパンの時代の楽器はうんとPで弾かれるのが当たり前でした。
そんな楽器であったにもかかわらず、さらにショパン自身の演奏は、あまりに緻密であまりに繊細で、聴いた人はみな驚いたのです。
現代のスタインウェイでしっかり弾かれる演奏をショパンが聴いたらびっくりして首を振ることでしょう。
ベートーヴェンはもっとパワフルに弾きたいと楽器メーカーに要望していました。作曲家が生きていた時代に、楽器に対して何を感じていたか要望していたか、知るといいです。
ショパンはプレイエルを好みました。なぜならプレイエルは軽やかで流れるような表現が得意だからです。
リストはエラールを好みました。エラールは打鍵をはっきりと聴かせることができたからです。
(中間部)マイナーのテーマを強く弾き始めてしまうと、ショパンが望んだ表現ができません。ここの表現は外向きではない、力で聴かせるのではなく慈しむように。
メッツァヴォーチェというのは面白い表現です。pでもmpでもよかったのに、なぜメッツァヴォーチェなのでしょう。
メッツァヴォーチェは自分のために歌うイメージです。自分の内面に語りかけて考えを熟成させたいというような感じ。
ソットヴォーチェはうんと静かだけれど誰かに聴かせたい。コンサート会場で隣の人に話したいんだけど大きな声では話せない、みたいな。
最後、短調と長調を行ったり来たりするその足どり、何かが消えていくんだけど、見えないところで見えないものが増えて行く。外向きになり過ぎないように。。。
ショパン 即興曲 第2番
よく弾けていて、「素敵だな~、素晴らしいな~」ということが何ヶ所もありました。
点(スタッカート)が打ってあってペダルの指示があるのはどういうことでしょう。
若い人たちはしばしば点が打ってあるとスタカートだからペダルを踏んではいけないと思っていますがそうではありません。
点が打ってあってもずっと伸ばすんだよとペダルの指示が一緒にあるケースが多いのです。
では点の意味は?
これは、タッチの指示と思っていいのです。
点がなければ、たっぷり目に弾く。
点があればペダルを踏んでハープのように響かせるという意味です。
冒頭はハーモニーの音程を聴かせましょう。
3つの声部をメロディ、内声、バスという風に演奏するのはそうなんだけどそれだけでは物足りません。
ペダルは有益な時に踏むものと思っている人が多いけれど、ペダルの音色を使いましょう。。。
ペヌティエは音楽を言葉で語った
ペヌティエは、客席最前列まん中に椅子を置いてずっと座ってレッスンしていました。
全くピアノを弾かないし、通訳を介しているのですが、それでも、何を言っているのか、どういう音楽をイメージして受講生さんに要求しているのかがとってもよくわかりました。
よく音楽は言葉で語れないって言われますよね。
でも、ペヌティエは(受講曲だった)ショパンの即興曲がどういう作品でどういう演奏を目指すべきなのか、ちゃんと説明していたんですよね。
その様子を見聞きしながら、音楽って何だろうとあらためて考えてしまいました。
それともうひとつ・・・
私は子供の頃から、まずちゃんと弾けるようにしてそれから音楽性とか表現とかを考えるみたいなレッスンを受けたんですけれど、ある頃からそれに疑問を持つようになりました。
今は、ピアノに触れる時にはあるべき理想の音楽をイメージして練習するべきだと考えていますけれど、その《イメージ》の奥深さは、もっと深いものだと思い知らされた気がします。
それは、すなわち、音楽の素晴らしさでもあります。
一音も奏でることのないペヌティエのレッスンは、音楽の美しさ、崇高さ、そして、ショパンの即興曲の魅力をこれまで知らなかった世界を教えてくれました。
ラ・フォル・ジュルネ1日目の感想はこちら↓