2019年11月4日、秋晴れの横浜・・・
横浜市招待国際ピアノ演奏会特別レクチャーで古屋晋一先生の『脳と身体から見た最適なピアノ練習法』を聴講しました。
”練習”のあり方について大いに考えさせられる内容はピアノ弾き必読です!
練習による脳の変化
練習すると脳が変化することが知られています。
だから、ピアノ弾きの脳とヴァイオリン弾きの脳は違うんですよね。
・・・で、実は練習しなくても脳は変化します。
練習しないと下手になるのは、指の筋肉が衰えるせいだと思っている人が多いですが、
実は、
指を動かす脳の方に原因があります。
すなわち、
神経細胞をつなぐケーブルが減る=下手になる
ということ。
練習できない、あるいは、練習時間が少ない場合でも、イメージトレーニングが極めて有効という話は、古屋晋一先生の『ピアニストの脳を科学する』にある通りです。
練習好き”遺伝子”の為せる技
練習好きな人は真面目で勉強熱心と賞賛される傾向にありますが・・
練習好きな”遺伝子”とか音楽好きな”遺伝子”というのがあるそうです。
なお、音楽に感動できない遺伝子というのもあり、人口の3%ほどが持っているとか。。。
上達は”練習の量”だけじゃない
上手くなるには練習!練習!練習!
と思われていますが、古屋先生によると、
練習の量が演奏に及ぼす割合は2割、
残りの8割は、遺伝子、先生、家族などのサポートなど
との事。
むやみに練習するのはやめましょう。
”練習量”だけで上手くなるなら、教育も研究も要らないのです。
音楽教育の4つの要素
では、音楽教育とは何か、どのように考えるべきか?
古屋晋一先生は、音楽教育には4つの要素があるとおっしゃいます。
芸術教育:感性と解釈
身体教育:機能と技能
上手く弾けない時に、どこに問題があるのか、切り分けて考えることはとても大事です。
たとえば・・・
作品について理解があり、求められる響きについてのイメージもあるのに、テクニック的に問題があるから弾けないのなら、必要なテクニックを習得するべくトレーニングすればいい=身体教育です。
しかし、往々にして、そもそも作品についてよくわかっていなくてどう表現すればいいのかわからないから指が動くはずがないというケースがあります。これは、身体教育の前に(あるいは並行して)芸術教育が必要ということです。
理想の練習と現実
練習とひと口に言っても、その内容と質が大事です。
理想の練習というのは、指が動く=身体教育の問題をさっさとクリアして、解釈や感性レベルで芸術として高めていくというのがあるべき方向です。
なぜ練習しすぎるのか?
なぜ故障するほど練習する人が後を絶たないかと言ったら、やはりコンクールや試験はもちろん、演奏会などの”本番”の出来が自分の明日と将来に重大だからです。
ここで古屋先生が”知っておくべき”と強調されたのは、
演奏に対する「評価」の基準が多様かつ不確定
ということでした。
演奏する人・聴く人は例外なく感じている通り、ある演奏を聴いて思うことは人それぞれです。それは聴衆のみならず審査員や試験官も同じです。
どんな評価が下されるか、つまり、試験に合格するか、コンクールで次のステージへ進めるか、1位か2位か3位かあるいは・・・というところを決めるのに、その基準が多様かつつ確定というのは、当事者にとって不安でしかありません。
そこで楽器にしがみつき、燃え尽きるまで練習しないと気が済まないということになりがちです。
古屋先生は知っておくべき必要なことを3つ挙げられました。
- どんな表現の可能性があり得るのか
- 自分の身体は何が弾けるのか
- どんな表現を自分が選ぶのか
要するに、試験向き・コンクール向きだからと難曲を選び、ひたすら頑張る!みたいなことをしても報われないよ、ということです。。。
ピアノ弾きが知っておきたい手の故障
ピアノ弾きの手の故障というと=腱鞘炎なイメージをお持ちの方が少なくありませんが、実際にはそんな単純な問題ではありません。
「手が痛い」原因は「手そのもの」にあると考えるのは素人です。例としてグレン・グールド手首の故障が紹介されました。グールドのケースは、そもそも首に原因があり、それは猫背=姿勢の悪さに起因しているとの事で、要するに手が痛い原因は手そのものではない場合がある(多い)との事。
手の故障についてピアノ弾きなら知っておきたいことが挙げられました。
手の軸は小指側|手根管症候群
手の痛みを訴えるピアノ弾きに多い手根管症候群という障害があります。
手根管とは、手首の部分にある骨と手根靭帯に囲まれた空間で、手根管の神経が圧迫されると手首の痛みや手のしびれなどの症状が現れますが、ピアノ弾きの場合、
小指側の手首が”くの字”に曲がった状態で弾く人に多い
そうです。
これは、親指側を軸だと考えているから起こることですが、
小指側が軸です。
前腕にある2本の骨~尺骨(しゃっこつ)と橈骨(とうこつ)のうち、小指側の尺骨が軸になるので、小指側の手首がくの字に曲がるというのは典型的なミスユーズ(誤った使い方)です。
痛みは「使い方が間違っているよ~!!」という警告ですから、我慢しないで適切な使い方をしましょうね。
肘をつくのは要注意!肘部管症候群
肘部管症候群は、肘が原因で手に障害が現れます。
ピアノの練習そのものではなく、テーブルに肘をついたまま長時間寝ていたことによっても起こる場合があるとの事、楽器演奏する人は日常生活で肘をつくのは要注意です。
痛みは記憶される|慢性疼痛炎
痛みを我慢していると炎症がなくても痛みが続くのが慢性疼痛炎です。
3ヶ月以上痛みが続くと、痛みの記憶が脳に残存し、炎症そのものの痛みではない痛みが慢性化するというもの。
クララ・シューマンがブラームスの2番のピアノ協奏曲を練習している時に罹患したとか、スクリャービンもかかったと言われています。
治し方としては、
- 痛みが生じるメカニズムを理解
- 痛みへの耐性
- 痛みを感じずに演奏する技術
- 練習の仕方の工夫
- マッサージや鍼
- アレクサンダー・テクニーク
- ストレスを減らす、心身管理
など本人のみならず家族や先生を含めたフルサポートが必要です。
ピアニストの故障は生活習慣病
弾けないのは、技術不足や練習不十分だから、もっと練習しなければとピアノに向かい、痛みや炎症を起こし、さらに弾けない・・・という負のスパイラル。
ピアニストの故障は”生活習慣病”だと古屋晋一先生はおっしゃいます。
身体の問題が発症しやすい時期
日常生活でも心身に問題が起こりやすい時期というのがあります。就職、転職、転居や家族構成が変わった時など、環境の激変が心身に及ぼす影響は広く知られていますが、ピアノの問題も同様に問題が起こりやすい時があります。すなわち、
- 急に練習時間が増える(休み明け、試験・コンクール前)
- 譜読みが多い(楽譜に意識をとられ身体への意識が疎かになりやすい)
- 楽器、奏法、先生が変わった時(留学など)
このような時には、普段以上に身体への負担に気を使いましょう。
とにかく予防が一番!
上手くなるために練習するのに、その練習で身体を痛めて弾けなくなってしまうのでは、その練習は何のための練習なのか?ということです。
とにかく予防が一番!
弾き方の効率と練習の効率を上げる
予防には、
- 弾き方の効率を上げる=脳や筋肉への負担を減らす
- 練習の効率を上げる=少ない練習時間で大きな効果を上げる
のふたつを考えましょう。
疲労を軽視しない
「疲れたら休め」と言いますが、そもそも「疲労させない」ことが肝要であり、同時に上達への近道なのです。
なぜかというと、疲労すると学習効率が上がりません。
筋肉はすぐに回復しますが、脳神経は回復に時間がかかります。
なので、疲れる前に時間を決めて休憩することが肝心です。
脱力は短期間の練習では身に付かない
無駄に力が入っているから手や腕が痛くなり、炎症や故障の原因になることは誰もが知っていて、だから「脱力」ということが言われます。
脱力がどのように習得されるかというと、
練習をすると時間とともに脳内では
- エラーが減る
- エネルギー効率がよくなる
ということが起こります。
すなわち、脱力して弾きたいなら、”短期間”の練習ではダメだということ。
脱力チェック
脱力できているのかどうか、チェックポイントが挙げられました。
- 弾いていない指は何をしているのか?
- さぼっている筋はないか?(指だけでなく)
- 押さえつけていないか?
- 準備は遅くないか?
- 身体の認識は正しいか?
- ・・・
むやみに頑張るのではなく、冷静にチェックしながら練習しましょう。
幼少期にやってはいけないこと
ピアノの練習には終わりはありません。
終わりがないからこそ、最初が肝心!
私も子供時代についてしまった癖のために本当に長い間苦しみました(今も引きずっています)。
幼少期にやってはいけないことについて以下3つが挙げられました。
- 癖の容認
- 筋骨格系の機能の養成
- トラウマ経験
順に解説します。
幼少期の癖を容認してはいけない
子供のレッスンというと、往々にして「楽しくやればいい」と弾き方について無頓着だったり、逆に、コンクール目指して小さな身体と手でピアノと格闘させたりと両極端に走って、結局子供のためになっていないということがありますが・・・
幼少期は脳が柔らかく、吸収が早いので、変な癖はすぐに定着してしまいます。ゆえに、「そのうち治るだろう」と放置せずに、適切な弾き方へと指導しなければなりません。
筋骨格系の機能の養成
成長の発達段階をよく理解して、演奏に求めるものを熟考しなければなりません。
筋肉の発達は中学生から高校生の時期なので、大きな音を無理に出させない。
全身を使って大きな音を出させる例は至るところで見受けられますが、全身を使っても小さな柔らかい指がそれを支えられるわけではないので、結局力んで弾く癖がついてしまいます。
長時間の曲は避ける。
呼吸器・循環器系も中学生以降に発達するので、小学生は疲労をためやすいので長い曲は避けるべき。
手の巧緻性は性差が大きい
手の巧緻性は女子は7~8歳、男子は9~10歳に向上するので、この年頃は男女差を考慮、ついでに親御さんにも理解してもらえるように説明が必要です。
筋力は10歳頃から
筋力は10歳頃から向上。
要するに、子供たちへの選曲や表現への要求は慎重になるべきで、才能のある子に背伸びさせて無理を強いるのではなく、将来に悪影響をもたらさないように十分配慮しなければならないのです。
トラウマ経験
私は、子供の頃の怖いレッスンの恐怖体験をいまだに引きずっていて、チェルニーと聞くだけで胃がキュっとなります。
怖い親、怖い先生の弊害には以下のようなものがあります。
- 暗譜が飛びやすい
- アガリ症になりやすい
- 慢性疼痛炎の発症リスクが上がる
など、怒られる経験はトラウマになりやすいので関係者は気をつけましょう。
記憶について
記憶の定着を促進する要因は以下があります。
- 時間
- 睡眠
- 運動
- 報酬~楽観的な方がいい
- 多様性(リズム練習など)
暗譜で演奏するというのは、すなわち、「記憶を思い出す」ということですが・・・
覚えた環境で思いだしやすいという特性があります。そのためには
- 本番と同じピアノ、音響環境で練習
- 照明や背景を本番環境に似せる
- 本番と同じ心理状態(感情・緊張)で練習する
自宅のピアノ室に閉じこもって、ひたすらリピートするのではなく、工夫次第で暗譜は確実になるようです。
集中ではなく、包括的注意を!
演奏には、とかく集中力ということが言われますが・・・
古屋晋一先生は、
集中ではなく、包括的注意を!
とおっしゃいました。
すなわち、鍵盤をにらみつけるようにして、指先を狙った鍵盤に打ち付けるような練習ではなく、全身の状態などに包括的に注意を払いましょうということ。
なぜなら、感覚を感じられている時に脳はやわらかくなり、練習による上達効果が高まるそうです。
芸術は、スポーツと違い、生涯深めていくことができます。
そのためにも、故障のリスクは避けなければなりません。
演奏する本人だけでなく、親御さんや、何よりピアノ教師が正しい認識を持ってピアノを演奏する人を導いていくためにも、このようなことがピアノを弾く人の”常識”になるといいな~と思います。
データ|第38回横浜市招待国際ピアノ演奏会特別レクチャー
第38回横浜市招待国際ピアノ演奏会特別レクチャー
脳と身体から見た最適な練習法
【講師】古屋晋一先生(ソニーコンピュータ研究所研究員)
【日時】2019年11月4日(月・祝)10:30~11:30
【場所】横浜みなとみらいホール6階レセプションホール